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ルキウス・クィンクティウス・キンキナートゥス
                 (460執政官、458,439独裁官)?-?


 伝説はこう告げています。
 キンキナートゥスは極めて貧乏ではありましたが、欲のない人で、前460年に執政官に選ばれてローマに住んだものの、一年の任期が終わると自分の農地に帰り、畑を耕して暮らしていました。

 しかし前458年に、アエクィー族との戦いで執政官のミヌキウスの軍が包囲されるという危機的状況に陥ると、元老院は独裁官の任命を決定し、その独裁官職にキンキナートゥスを指名します。

 (この独裁官というのは、ローマが極めて危機的な状況に陥った時に、執政官1名の指名によって任命される非常職で、ローマの政体を変更すること以外は何でもなしえ、独裁官の決定には何人といえども逆らうことは出来ませんでした。通常同僚無しの1名の官職であり、これまた非常職として騎兵長官という役職の者を任命することが出来ます。任期は執政官の半分の6ヵ月間でした。)

 キンキナートゥスがちょうど畑仕事をしているところに元老院からの使者がやって来て、ローマ軍が危機に陥っていること、そして元老院がキンキナートゥスを独裁官に任命したことを知らせました。

 彼は不承不承、鍬を置いて妻に別れを告げ、ローマに向かいました。独裁官に就任した彼はすぐさま軍隊を徴集、出発、真夜中にミヌキウス軍が包囲されていたアルギドゥス山に到着し、包囲軍を更に包囲してからミヌキウスに到着を知らせて夜襲をしかけ、夜明けには敵を散々に打ち破ってしまいました。

 キンキナートゥスはローマに凱旋してすぐに独裁官職を辞任し、畑を耕しに帰ってしまいました。独裁官職にあった日数、僅かに16日間。

 これは伝説のいいとこどりで、普通の史料ならこれで「すごいですね〜」といって次の話に行ってしまうところなんですが、この話には実は裏があるのです。

 それは、彼が何故「貧乏」で「官職に就きたいという欲がなかったのか」ということに就いてです。実は彼の息子のカエソーが平民を虐待し、護民官を侮辱したかどで罰せられ、捕まってしまったのですが、彼はその保釈の為に保証金を没収され、為に非常な貧乏に落ち込んでいたのです。また、カエソーはその後も追放者や逃亡奴隷の仲間に入り、カピトリーヌスの丘を占拠しようとして失敗し、反逆罪で殺されたのですが、その事に就いて彼は、憤っていたのです(息子に対して、ではなく、ローマ政界に対して、ですよ)。そういうワケで彼は、「もう ローマにはいたくないっ」とばかりに田舎に引っ込んでいた、という訳です。

 ところがこの話全体を、キンキナートゥスの実在も含めて疑う説もあり、もしそれが本当だとすると、私なんぞはそういう、良いところも悪いところも含めて書いてしまう伝説を作ったローマ人というのは、なんだか凄いなあ〜という気がします。

 次は半伝説的英雄、ロムルスに次ぐローマ第二の創建者と言われたカミルルス です。

DSSSM:dsssm@cwa.bai.ne.jp