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マルクス・ミヌキウス・ルーフス
(221執政官、217騎兵長官、217独裁官)?-216
彼は第2次ポエニ戦争に於いてじぇんじぇん有名でない人物ですが、私が非常
に好きな人物です。彼は年は不明ですが、独裁官にもなった人物で(その割にや
ることが低劣だけど)、ガイウス・フラミニウスを騎兵長官に任命しています。
前218年に第2次ポエニ戦争が始まりますが、217年トラシメヌス湖畔の戦いに
大敗、その敗報にローマは震撼し、法務官マルクス・ポンポニウスは民衆に、
「ローマの人々よ、我々は大きな戦いに敗れ、軍隊は滅び、執政官のフラミニウ
スは倒れた。戦局は重大な危機にある。」
と奮起を促しました。この言葉はローマを驚愕に陥れましたが、この戦局を打開
する為、ファビウス・マクシムスを独裁官に任命する事に決定。ファビウスはミ
ヌキウスを騎兵長官に任命しました。
しかしファビウス・マクシムスはハンニバルに対して戦いを徹底的に避ける作
戦を採ります。それに基づいて軍隊が行動するうち、ファビウスは味方にも敵に
も全く勇気のない男だとして「ぐずぐず屋(クンクタトル)」と悪口を言われる
様になりますが、ハンニバルだけがファビウスの手腕を見抜き、なんとかしてファ
ビウスを戦う様にさせなければカルタゴ軍もおしまいだと考えました。何故なら、
会戦に持ち込まなければカルタゴ軍は折角の武器の優位を活用する事が出来ない
上に、その間に軍勢を維持する為に資金を浪費してしまうからです。
ハンニバルはファビウス誘引にあらゆる手段を講じてみました。時には誘いの
隙を見せ、時には激しく決戦を挑みました。しかし糠に釘でした。ハンニバルは
軍団の進路一帯に渡って略奪を開始しました。一つには糧食補給の為、一つには
ファビウスをして決戦を余儀なくさせる為です。しかしファビウスは、無感覚な
までに既定の方針を変えませんでした。ハンニバルを次第に焦燥を感じ始めます。
ところがミヌキウスは時期でもないのに戦争をしたがり、軍隊を煽動してファ
ビウスを悩ませました。ファビウスが山の上に陣を張っているのを、「イタリア
が荒らされたり焼かれたりするのを見ようとする人々の為に、いつも立派な劇場
を設けていて結構なことだ! ファビウスは地上に望みがなくなったから軍隊を
上に連れて行って天まで上げるつもりか、それとも雲や霧で身を包んで敵から逃
れ去るつもりか?」
と嘲笑しましたが、ファビウスは「祖国の為に恐れるのは恥ではない。」と言っ
て気にしませんでした。
しかしここでファビウスにとって悪いことが重なります。ファビウスはハンニ
バルを一歩一歩追い詰めていたのですが、窮地に追い込まれたハンニバルは逆に
素晴らしいひらめきを見せてファビウスを煙に巻いたのです(牛の角に松明をつ
けてその方向に自軍が進んでいる様に見せかけたのです)。また何とかしてファ
ビウスを引きずり降ろそうとするハンニバルは、ファビウスの耕す畑に来た時に、
周りの畑を全て焼き払ってファビウスの畑だけは荒らす事を禁じ、これに番兵ま
で置いておきました。こういうことが重なって、ファビウスは非難される様にな
ります。
その頃、祭司達が或る犠牲の式を行う為にファビウスをローマへ呼び戻した(彼
が鳥占官という宗教的要職にあった為)ので、ファビウスは軍隊をミヌキウスに
任せましたが独裁官として命令したばかりでなく、色々と勧告し懇願して敵に戦
争を仕掛けない様に頼みました。しかしミヌキウスはそれを少しも意に介せず、
直ちに敵に対して攻勢に出ます。ハンニバルが徴発に軍隊の大部分を動かしたの
を見取って、残りの部隊を攻撃してその多くを殺したのです。
この事がローマに伝わると民衆はミヌキウスを大いに称賛したのですが、ファ
ビウスが、「命令に背いて敵を攻撃した罰を加えるつもりだ。」と言ったので、
民衆は非常な騒擾を起こしました。独裁官は裁判を行わずに投獄し死刑にする権
利を持っていたからです。その為民衆はミヌキウスに独裁官と同じ権限を与える
決定をしました。しかし戦争に対するミヌキウスの不健全な功名心に拍車をかけ
たこの民衆の無分別は、祖国を思うファビウスの心を傷めさせました。
ファビウスが陣営に戻ると、ミヌキウスはもう手に負えない有り様で、勿体振っ
て目も眩み、交互に指揮する事を要求するので、それは許しませんでしたが、軍
勢を等分してミヌキウスにも分けてやりました(交互の指揮というのは全くの同
権を意味するのですが、分遣隊などとして軍勢を付与するのは、下位の指揮官に
対しても良く行われたことだったのです)。ミヌキウスは得意になって、自分の
力で最高最大の職務の威厳がおとしめられたのを喜んだ(自分も独裁官だったこ
とがあるクセに(笑))ので、ファビウスは、
「この戦いは私に対するものではなく、冷静に考えてみればハンニバルに対する
ものであり、同僚の指揮官と功名を争うにしても、市民達の目から見て辱められ
た方よりも名誉を得た方(つまりミヌキウス)が、市民の保護と安全に対して気
を遣っていたと分かる様に気をつけて貰いたい。」
と言いました。
ところがミヌキウスはこれを老人のわざとやる仕打ちと受け取りました。そし
て分け与えられた軍勢を率いて自分だけ進軍し、ハンニバルと戦うことになりま
す。
ミヌキウスは自分の軍勢を率いて進軍しましたが、ハンニバルはこれらの出来
事をちゃんと承知しており、ミヌキウスに対して罠を仕掛けます。
両軍の間に一つの丘がありましたが、これが占領するのは困難でない割に、いっ
たん占領してしまえば堅固な陣営と成りうるものでした。ハンニバルはこの丘を
わざと占領せずにおいておき、戦争を行うきっかけに残しておいたのです。
ハンニバルはミヌキウスがファビウスと別になったのを見ると、夜の間に丘の
周りの壕や窪地に兵隊を隠し、夜が明けると同時に丘を占領させる為に公然と少
数の兵隊を繰り出し、この丘を争ってミヌキウスが攻めて来る様に仕掛けました。
ミヌキウスはこの罠に見事に掛かりました。ミヌキウスは先ず軽装歩兵を送り、
次に騎兵を送り、最後にハンニバルが丘の上の兵隊の援護に来るのを見て、全軍
を整えて攻め寄せたのです。戦いは激しいものになりましたが、ハンニバルが合
図してミヌキウス軍の無防備な側面に対して伏兵をかからせると、ミヌキウス軍
は多くの損害と大混乱に襲われました。ミヌキウスは自分の部下の将軍達に目を
遣りましたが、ヌミディア騎兵が勝ちを占めて走り回る中、ローマ軍は敗走する
ばかりで自分自身の身の安全も図れない状態でした。
ファビウスはこういう事態を恐らくは予想しており、自分の軍に戦闘準備を完
了させ、ミヌキウス軍の動向を注視していました。そしてミヌキウスの軍が包囲
され混乱し、持ち場を守る事が出来なくなって恐怖のあまり潰走する味方の叫び
声を耳にすると、腿を叩いて深い溜め息をつき、側にいた人々にこう言いました。
「やれやれ、私が思ったよりも早く、しかし本人が急いだよりも遅く、ミヌキウ
スはその身を滅ぼした。」
そして大急ぎで軍旗を持ち出して軍勢に従って来る事を命じ、大声を挙げてこ
う叫びました。
「さあ、マルクス・ミヌキウスを思う者は急げ! あれは立派な愛国者だ。敵を
追い払うのに急なあまり誤ったとしても、それは後で責める事にしよう。」
そこで先ず軍勢を率いて、平原を駆け回っているヌミディア騎兵を潰走させて
散らし、それからミヌキウス軍の側面を襲って戦っている敵軍に対して攻撃を仕
掛けたので、ハンニバル軍の兵隊達は自分達が本隊と切断されて包囲されない内
に、背を向けて逃げ去りました。ハンニバルは局面の展開と、年に似合わず威勢
よくミヌキウスのいる丘に向かって戦闘の間を進んで来るファビウスの姿を見て、
戦争を止めさせ、ラッパを以て退却の合図をし、カルタゴの兵士を陣営に戻した
ので、ローマの兵士も喜んで退きました。
戦の後にファビウスは自分の殺した敵兵の武器を奪って引き揚げましたが、同
僚の指揮官に対しては何一つ傲慢な言葉も憎悪の言葉も吐きませんでした。
ミヌキウスは自分の軍隊を集めて言いました。
「諸君、大きな仕事に於いて全く過ちをしないというのは、人間の力以上の事で
ある。しかしいったん誤った後その過ちを将来に対する教訓とするのは、思慮の
ある立派な男の務めである。これ程長い間気づかずにいた事を、一日の僅かな間
に教えられて、自分が他の人々を指揮する力が無く別の指揮者を必要としたのに、
自分が負ける方が良かった相手になまじ勝とうという気を起こしたのは、名誉心
の所為であったと分かった。諸君にとってはあらゆる点でディクタートル(独裁
官:ファビウスの事)が指揮者である。あの人に対する感謝を果たす為に私自身
が指導者となり、先ず私自身が従順になってあの人の命ずる事を行うようにしよ
うと思う。」
こう言い終わって鷲印の軍旗を揚げさせ、全ての者について来る事を命じ、ファ
ビウスの陣営に向かいました。そこに入って将軍のテントの方へ行き、ファビウ
スが現れると、ミヌキウスは軍旗をその前に立てて、自分は大きな声でファビウ
スを父と呼び、その兵士はファビウスの兵士をパトローネース(親分)と呼んで
挨拶しました。これは解放された奴隷が解放してくれた主人に対して使う呼び名
です。皆が静まった時、ミヌキウスは言いました。
「ディクタートル、貴方は今日一日に二つの勝利を得た。勇気を以てはハンニバ
ルに、知謀と親切を以ては貴方の同僚に。一方の勝利では我々を救い、他方の勝
利では我々を教えた。その我々はハンニバルから恥ずべき敗北を蒙り、貴方から
は救いとなる立派な敗北を受けた。貴方を優しい父と呼ぶのは、これ以上名誉あ
る呼び名がないからである。貴方から受けたこの恩恵は私を生んだ人の恩恵より
大きい。あの人からは私が一人生まれただけであるが、貴方からはこれ程多くの
人々と共に救われた。」
こう言ってファビウスを抱きしめました。見ると、同じ事を兵隊同士がしてい
ました。お互いに抱き合っていたのです。そこで陣営は喜びと嬉しい涙に満たさ
れました。
ミヌキウスはその後、カンナエの戦いでパウルス等80名の元老院議員と共に、
壮絶な最期を遂げています。
次回は世界戦史上類を見ない最高にして最大の包囲戦を完成させたカンナエの
戦いに於いてハンニバルに完敗したワルローとパウルスです。
DSSSM:dsssm@cwa.bai.ne.jp