かげどろぼう



 それは、まったくすてきな朝でした。
 空は矢車草のように青く、雲なんてよけいなものは一つもありませんでした。
ただ、二つのお日様だけが、ぴかぴか、まぶしく光っていました。
 乾いた大地に砂埃が一陣。
 ヴァッシュとメリルは裏庭で黒猫様と遊んでいました。
「なぁ、ハニー。ワイ、腹減ってもうてあかんわ」
「もう少しだけ待ってて下さいね? ダーリン」
 テーブルの上に突っ伏すウルフウッドに、ミリィはやさしく言いました。
「あいつら、腹減ってへんのんか?」
「もう、みんな朝御飯終わりましたよ。残っているのは、ダーリンだけです」
「そ、か。すまんコトしたなぁ」
 フライパンの上ではじゅうじゅうと目玉焼きが音を立てています。
「ミリィー…あ、ウルフウッドさん、おはようございます」
「おはよ…どないしたんや」
「なんだかヴァッシュさんの様子がおかしいんです。急に倒れ込んで…」
「なんやて?」
 ウルフウッドは立ち上がりました。
「先輩、ヴァッシュさん、どうかしたんですか?」
 ミリィが、目玉焼きの入ったお皿を持って、出てきました。そして庭をのぞくと、
「いい天気ですねぇー。なんだか、お昼寝したくなっちゃいますねぇ…」
 ミリィはそこまでうららかな声で言い、とびあがりました。ヴァッシュのそばに
とんでいったウルフウッドが、
「こいつ、具合わるいんやで!」
 と怒鳴ったからです。
 ヴァッシュは庭の片隅に仰向けになって寝ていました。赤紅色のコートの裾が、
きちんとそろえられています。
「ヴァッシュ!」
 ウルフウッドは、ヴァッシュを抱き上げました。
「ヴァッシュさん、しっかりしてください!」
 メリルも、叫びました。そのときミリィが素っ頓狂な声で言ったのです。
「先輩! ヴァッシュさんの影がありません!」
「何ですって?」
「ダーリンの影も先輩の影もあるのに、ヴァッシュさんの影が…」
 白く乾いた地面に、ウルフウッドとメリルとミリィの影がくっきりと落ちていました。
けれども、抱き上げた手はうつっているのに、抱き上げられたヴァッシュの影は
ありません。
 あたりがさあっと、夜の砂漠のように冷たくなりました。三人は凍り付いたよう
に、じっと影を見つめ、そんなはずはない、というように何度も空を見上げました。
空はやっぱり矢車草のように青く、さんさんと、陽の光はふりそそいでいたので
す……。
「医者や!」
 ウルフウッドはヴァッシュを屋内にかつぎ込むと……
「ちょお待てぇ! 今日は日曜日やんけぇーっ!!」
「ウルフウッドさん! 私、お医者様を連れてきますわ」
「頼んだでぇ、ちっこい姉ちゃん!」
「…ってこの町のお医者様、どこに住んでいましたかしら?」
「どないせぇっつーねんー!!」
 ミリィは膝ががくがくして、そのまま庭に立っていました。屋内の会話なんて、
耳に届きません。何だか、自分も倒れてしまいそうでした。
 すると、細い声で黒猫様がささやくように言いました。
「ヴァッシュはね、影を盗まれたんだよ。今日の空、青いでしょ。見ているうちに
吸い込まれるようで、しまいに光って黒く見えてきた。そしたら、いつの間にか
ナイブズが、そこに立っていた…」
「ナイブズ…さん?」
「よく見えなかったんだけどね……影法師みたいに立っていたかと思うと、それ
がいつの間にか、ヴァッシュの影を取っていたんだ。そしたら、ヴァッシュ、くた
びれたように寝たんだよ」
「そのナイブズさん、どこへ行ったんですか?」
 ミリィは叫びました。
「野原の方へ、黒い風のように、駆けていったよ」
 黒猫様がそう言ったとき、ウルフウッドの声がしました。
「アカン。日曜日でどこも医者は休みや。ハニー、ちっこい姉ちゃんと手分けして
医者探してきてくれんか?」
 けれど、もうミリィは駆けだしていたので、のぞきに来たメリルは困ったように
言いました。
「ウルフウッドさん、ミリィはいませんわ。どこかへ、行ってしまったようですわ…」



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