【 4 】


 二つ目の太陽が地平線へ沈もうとしている。日中はともにあるつれ合いのような太陽を追って、それもまた巡るのである。
 代わりに空へ君臨するのが月だ。月とは惑星の周りを巡る衛生のことであるが、この砂漠の星には、5つの月があり、今日はそのうち2つがほぼ満月に近い丸さを有して、1つが三日月、あと2つが星の裏側を照らしているようである。
「リラ……」
 ヴァッシュは片膝をついて、墓石にかかった砂を払った。
 ここは共同墓地。街のはずれ、砂漠と街の境界線を人々はそう位置づけていた。墓地といっても、柵があるとか、区画整備されているとかいうような、手はかけられていない。ただ、砂漠に向かって無限に墓石が並んでいくだけである。
 昨日、ウルフウッドが葬儀を行った老婆の墓も、この中のひとつとなっていた。オーソドックスで質素な墓石である。
 植物が貴重なこの星では、墓石に花を捧げるという習慣はなかったが、その代りとして、石で作られた人形を墓の周り捧げるという風習があった。人の形、トマの形、この星の人たちが考え得る、様々な形の人形である。数がたくさん置かれているほど、生前、多くの人々に慕われていたという証拠であり、遺族達はこうやって、死者の魂を慰めているのかもしれない。
 ヴァッシュはその人形達の中に、自分の作ったものを並べて置いた。
 葬儀の時には人の眼もあり、いっかいの旅人である彼が、故人の知己に混じって人形を捧げることに、多少の抵抗を感じたのだ。一方は70過ぎの老人、一方は20代前半に見える若者。友人であると説明するとしても、家族達に不信感を与えることになりかねない。それだけは避けたかった。
 それに、実のところこの街を訪れたのは偶然だった。彼女の死を知ったのも、この街についてからのことだったのだ。だから、葬儀の日に人形を捧げたのでは、店の既製品になってしまったことだろうし、できれば手作りのものを送りたいというのが、彼の人情だった。
「夕べ、ボクが作ったんだ。下手くそだけどね」
 数々の人形に混じって置かれたのは真っ白な石。彼は、石灰石のような柔らかい石に、なんと花の絵を彫り込んでいた。この星ではほとんど見ることのできない「花」という植物。
(花の絵。昔見たきりだから、正確じゃないかもしれないけど……。リラには本物を見せてあげたかった)
 ヴァッシュは胸の前で手を組み、静かに頭を垂れた。生前の彼女の姿を思い浮かべながら。
 彼女、リラとヴァッシュが出会ったのは、もう60年以上も前のことだった。家族や街の人がおばあさんと呼ぶ女性を、ヴァッシュは少女の姿で思い返すことができる。褐色の髪に、グレーがかった青い瞳。そう、孫であるエドの瞳は、リラにそっくりだった。
(幸せだったんだってね。町中の人々に聞いたよ)
 彼女のことを語る家族達の顔。どの目にも涙が滲んでいたが、その口調は誇らしげで、自分の人生の中にリラの存在があったことを誇らしく思っているようだった。
 ヴァッシュの胸の奥に穏やかな波が押し寄せる。じんわりと暖かい何かがわき上がり、指の先まで満たしていくような感覚。
「リラはね、幸せだったんだ」
 ゆっくりと立ち上がりながら、ポツリといった。
「幸せだったんだよ、ウルフウッド」
 彼は身体を振り向かせ、夕日が最後の一線を残す方を見やる。そこには、太陽の赤い残光に背を照らされた黒いスーツの男が、くわえタバコをしながら立っていた。
 ヴァッシュの唐突な言葉に、彼は無言で見つめ返すだけ。サングラスをかけているので、表情を伺うことはできない。
 ヴァッシュは小さくため息をついた。
「今度は、夕食ができたって、呼びに来てくれたのかい?」
「泣いてるんちゃうかと思おてな」
「え?」
「いっつもすぐ泣きよるのに、ばあさんの葬式のときは全然そんなことなかったんやんか。知らん人間やからかとも思おたけど、なんや知り合いみたいなことゆーてたし、墓の前で人知れず泣いとんのかと思おたんや」
 ウルフウッドはちびたタバコを地面に捨て足でもみ消しながら、口の端をつり上げた。
 ヴァッシュは誰かが死んだといっては泣き、不幸な人を見ては泣く。それが全くの赤の他人であったとしてもだ。可哀想じゃないかと恥ずかしげもなく口にし、まるで自分の身におきたことのように、落ち込んだりもする。彼はそのことをいっているのだろう。
「心配して、見に来てくれたのかい?」
「…………んなわけあるか」
 ウルフウッドは顔を背け、上着のポケットから新しいタバコを出した。
 それならなんのために来たのか?
 そんなことを聞いたら、彼はおそらく「馬鹿にしに来た」とでも答えるだろう。だから理由など聞く必要はなかった。本当のことを知るすべは、誰も持っていないのだ。
「泣いたりなんか、しないよ」
 だからヴァッシュはくつくつと笑った。
「泣くわけないよ」
「なんでや?」
「だって、幸せなんだもん」
 そういって、冷たい墓石を見やる。刻まれた文字は確かに、彼女の死を示しているのだけれど……。
 リラは幸せだった。幸せのままに生涯を閉じた。彼女は天寿を全うしたのだ。砂に埋もれた不毛の星で、一生懸命に生き、子孫を残し、そして死んだのだ。そんな当たり前のことが、この星ではどんなに大変なことだったろう。でも、彼女はやり遂げたのだった。
「彼女が幸せだったのなら、ボクも幸せだよ。だから、ボクは泣くわけないんだよ」
 ヴァッシュは「死」を喜んでいるのではない。有意義で、幸せな「生」が嬉しいのだ。命を精一杯生きてくれた彼女に、感謝したいくらい嬉しいのだ。
「オドレの考えることは、ようわからん」
 ウルフウッドは呆れたように呟いた。ヴァッシュの価値観を理解できず、また想像もできないのかもしれない。
「世の中はすべて回っている」
 ヴァッシュはニッコリ笑った。
「太陽も、月も、星も、そして人も」
「はあ?」
 怪訝そうな黒髪の男を無視して、彼は話し続ける。
「人は生まれて、一生懸命生きて、そして死ぬ。そして生きているときに命の受け渡しをする。命を回しているんだね。素敵なサイクルだ。もちろん、生を全うした故人の人格を無視しようとは思わないよ。けど限りある命だからこそ、そこに何ものにもかえられない価値があり、憧れがある。そして命をつなぐ尊さがあるんだ」
 ヴァッシュは高く登った月を見上げた。手の届かない崇高なもの。それは月への新興に似ているかもしれない。生き物ならば必ず持ち合わせているはずの「それ」に、彼は強く心惹かれている。昔、大切だった人が教えてくれたことだから。
「全ての人間に与えられた権利だ。それを奪うことは誰にもできない。逆に言えば、どんな罪を犯していても、それを失うことはない、そうだろう? ウルフ…………」
「トンガリ、熱でもあるんちゃうか? わけのわからんことばっか、並べてからに」
 ウルフウッドは仰々しくため息をついた。今にもきびすを返して帰ってしまうぞ、という感じである。
 ヴァッシュは一瞬だけ照れたような、それでいて寂しそうな顔をして、相手の顔を見つめ直した。
「キミはさ」
「ん?」
「結婚しないの?」
 また唐突な問いかけだった。墓場にあって、なにゆえ結婚の話になるのか、ウルフウッドは一瞬面食らった心地だったかもしれない。
「なんやねん、急に」
「ほら、エドの両親って幸せそうじゃないか。だから、その、ウルフウッドはどうなのかなって思ってさ」
 問いかけたのは自分であるのに、ヴァッシュは上手く口がまわらなかった。いいたいことは別にある。けれど上手く言葉にできないのだ。もっともっと、ウルフウッドにいいたいことがある。伝えたい気持ちがあるのに……。
「結婚なあ……」
 ウルフウッドはポリポリと顎を掻いた。
「ワイと結婚したがった女は何人かおったけど、ワイが結婚したいと思った女はまだ現れへん……ちうとこかな」
 さりげなく、自分はもてるんだ、ということをアピールしているらしい。まあオドレにはわからんやろけど、といいたげに、無精ひげをなでていた。
「じゃあいつか、結婚する意志はあるんだね」
「……」
 確認するようなヴァッシュに、ウルフウッドは一瞬言葉に詰まった。
 日はすっかり落ちて、辺りは夜に包まれている。月があるので暗くはないが、相変わらずウルフウッドの表情を読みとることはできなかった。
「……さあな」
 彼は吐き出すようにいった。怒ったようにも、冗談を笑い飛ばすようにも聞こえる口調だ。
 けれどヴァッシュには、なんとなく彼の真意が読みとれた気がした。おそらく、結婚など考えていないのだろうと。まだ早いとか、相手がいないとか、そういうレベルのことではなく、所帯を持つ資格がないぐらいまで考えているのかもしれない。自分の手が、あまりに血で汚れているから……。
 そんな風に考えて欲しくない。
 ヴァッシュは心の中でそう願う。さまざまなことを放棄しようとしている彼に、どう伝えていいのかわからないのだけれど、あきらめて欲しくないという気持ちが強くあるのは確かだった。
「キミの子供はきっと生意気なんだろうね。だけど、ボクはいい友達になれると思うんだ。キミとボクの関係なんかより、ずっといい関係にね」
「アホ。結婚もしてへんのに、次は子供の話か?! 気が早すぎるにも程があるわ」
「ねえ、ウルフ…………」
「先、戻るで」
 ウルフウッドはクルリときびすを返す。
「明日にはこの街を出る。ええな」
 そう言葉を残すと、大股で歩き去っていった。黒い背中が、夜にとけ込んでいく。ヴァッシュはそれをジッと見送った。
「ふ〜……」
 深いため息が出る。同時に、うまく言葉にすることができない自分が情けなかった。
「リラ。キミの素敵な家族の姿を見たら、あいつの気持ちも少しは和らぐと思ったんだけど……」
 ヴァッシュはポリポリと頭を掻いた。
 おそらく、ストレートな言い回しもできただろう。いや、もしかすると少しは彼の伝えたかったことが、ウルフウッドに届いているのかもしれない。けれど、それだけではダメなのだ。言葉だけを伝えても意味がない。相手の心をかえなければ……。
 どうすればいい? 何が必要なのだろう? ただ自分は、彼に普通の人生を歩んで欲しいだけなのに、やはりそれは、この星において難しいことなのだろうか。
 いや、そんなことはないはずだ。ヴァッシュの印象では、彼はあきらめる必要のないことまであきらめようとしているに過ぎない。心が悲鳴をあげているのに、無理をしているようにしか見えない。
 ヴァッシュは空を仰ぎ見た。そこに、彼の心の中にある幸せな光景が次々と浮かび上がった。
 エドと父親。そしておいしい料理を作る母親。
 見たことのない過去までもが思い浮かぶ。
 リラを囲む家族や友人。時間は戻り、助け合う夫婦の姿、子供と遊ぶ母親の姿、出産を間近に控え互いをいたわり合うカップル、恋をする若者達、そして光景は、時代は、繰り返されていく……。
「あ…………」
 ヴァッシュの目から、一滴の涙がこぼれた。温かい、満たされた心から流れ出た「あついみず」。
「キミの中にない光景なら、キミ自身が作ればいいんじゃないか。誰にだって幸せな光景を作る資格は持ってるんだよ。人として生まれたキミが、生まれながらに持っていて、決して失うことのない資格なんだよ」
 一度大きく息を吸い込んだ。冷たく乾いた空気が、肺をひんやりと満たす。
 緑色の瞳から、もう一滴、「あついみず」が溢れた。
「ボクがどんなに欲しても、手に入れることのできない資格なんだよ。ウルフウッド……」
 ヴァッシュは両の手で顔を覆った。そのまましばらく空を見上げ続け、口に出した言葉が、空気の中にとけ込んでしまうのを待つ。
 音もなく、風もない、乾いた夜。月の光だけが、彼の身を包み込んでいた。
「さて……」
 ヴァッシュは手を下ろし、再び墓石を見た。
「お別れだ、リラ。世の中の人が、キミみたいな人生を送れるようにするために、ボクはどんなことができるだろうね」
 その顔に、もう涙はなかった。いつもの笑顔。人好きのする、ホッとするような優しい笑顔があった。
 彼は歩き出す。とりあえずは彼の同行人のもとへ。
 3つの月が、その赤い背中を照らしていた。


──了



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