【 3 】


「うわっ、うわっ、うわああ〜〜〜〜」
「兄ちゃん、がんばれー!」
 トマが馴染みのない男を背に乗せて、不愉快そうに後ろ足を跳ね上げる。
「うおっ」
 その衝撃を受け止めきれず、背に乗った男、ヴァッシュ・ザ・スタンピードはトマの背中から乾いた大地へ転がり落ちた。
「うぎゅ〜〜」
「に、兄ちゃん大丈夫?」
「あ、ああ、なんとか……ね……」
 地面の上で逆さまになりながら、ヴァッシュは痛みに耐えつつ笑顔で応えた。
 トマはこの星の人が利用する二足歩行の動物である。人が降り立つ前からの先住生物で、砂漠生まれであるから、乾燥にはめっぽう強い。大きさ的にも人がひとり、場合によってはふたりぐらいは乗れるので、砂漠を旅するときの足として人々に親しまれていた。その上、ロストテクノロジーを利用したバイク、自動車よりも安価で手にはいるため、生活への普及率は高いのだ。
「やっぱ兄ちゃんに、キュレーは無理だよ」
「いいや、もう一回乗らせてくれよ、エド」
 キュレーはヴァッシュを振り落としたトマの名前。エドは人間の子供の名前。赤みがかった茶色の髪、グレーがかった青い瞳の10代前半の少年である。
 エドの両親はトマ牧場の経営者だ。水やエサをあまり必要としないトマは、この星で可能な数少ない産業となっている。もちろん牧場経営、すなわち人工的に繁殖させるには、それなりの設備と知識が必要であり、昨日今日で始められる商売ではないのだが。
「でもさ、キュレーはオレんちのトマの中でも、一番気性が荒いんだぜ。父ちゃんだってさんざん手を焼いて、やっと乗れるようになったんだ。兄ちゃんのへっぴり腰じゃ、乗りこなすのは無理だって」
 エドが呆れ顔でいった。しかし、ヴァッシュはVサインを胸の前につきだして
「いや〜、次こそは大丈夫だって。このオレに不可能はぬわ〜いのだあ!」と高らかに笑う。
「もう〜〜」
 少年は額に手を当てながら、大げさに天を仰いだ。
「シャツもズボンも砂だらけになっちまってるのに、どうしてそんな風にいえるんだよ。怪我してもしんねーぞ」
「心配ないっす」
 ヴァッシュは、借り物の白いシャツとオーバーオールについた砂を払いながら、ふんぞり返るように胸を張った。まったく懲りていないらしい。
「もうおおお」
 いうことを聞かないこの男に、エドはじたんだを踏んで抗議の意を示す。だがそうしている間にも、相手はキュレーの手綱を引いて、乗る体制に入っていた。
「おとなしく乗せてくれよ、キュレー」
「ヴァッシュ兄ちゃん!」
「そらっ」
 ヴァッシュは勢いを付けて地面を蹴り、トマの背に一気に跨った。金色の髪が含んだ砂を払いながら、日の光の下キラキラと揺れる。
「グェ〜〜〜」
 再びかけられた背中への衝撃に、キュレーが喉をふるわせた。強靱な二本の足をバタバタとしながら、牧場中をメチャメチャに駆け回る。
「グ、グ、グエ、グエ」
「うわ、うわ、うおおおわ!!!」
 トマの背の上で、ヴァッシュはバランスを取ろうと懸命に手綱を握った。少しでも油断すれば、乱暴な走行と、突発的な跳躍のせいでふり落とされてしまうだろう。まさにロデオ。これはトマと人間の、まさに一騎打ち(?)なのだ。
「兄ちゃん、気を付けて!」
 エドは声を張り上げた。ひとたび戦いが始まれば、もう応援するしかない。それに先程までの不安は飛び去り、少年の心は興奮で高揚していた。拳を握り、トマと人間の勝負を熱い眼差しで見守る。
「ヴァーーッシュ! 手綱を引きすぎだ。もっと余裕みせてみろ!」
 その時、野太い声が牧場へ響きわたった。
「父ちゃん!」
 エドが振り返ると、一仕事終えてきた彼の父親がいる。息子の隣に立ちその肩を抱くと「一緒に応援しよう」と微笑んだ。
「いいぞ、その調子だ!」
「兄ちゃん、頑張れーーーー!」
 仲のいい親子の声援を受けて、ヴァッシュはますます張り切っていた。巧みにバランスを取りながら、見事に手綱をさばく。キュレーのほうも負けじとフィールドを駆け回ったが、やがて段々とおとなしくなり、ついには彼の命令に従って、ゆっくりと親子の方へ足を向け始めた。どうやら勝負の軍配は、ヴァッシュにあがったようである。
「やったーー! 兄ちゃん、すげーや」
 エドが両腕を振り回して歓声を上げた。父親も、満面の笑みを浮かべて拍手を送っている。
「ヴァッシュ、すごいじゃないか!」
「いや〜、余裕っすよ。なーっはっはっはっは」
 すっかりおとなしくなったトマの背で、ヴァッシュは親指を立てた。満面の笑みを浮かべた顔は、興奮のためかやや赤みがかっている。
「キュレーを乗りこなすなんて、あんた、トマ飼育の才能あるよ」
 騎乗の英雄を迎えつつ、牧場主は満足げに頷いた。
「ほんと、おじさん?! じゃあ、ここで雇ってくれるかい?」
「その気があるんなら考えてやってもいいよ。まあ、高い給金は払えんがな」
 男はニヤリと口の端をつり上げると、愛想のいい緑色の瞳を真正面から見据え大きな声で笑い出した。ヴァッシュも少年も、それにつられて大声で笑い出してしまう。
 青空に響きわたる、3人の笑い声。
「グエーっ!」
 その時、トマが再び暴れ出した。男達の笑い声に驚いてしまったのだ。強靱な両足に弾みをつけ、何度も大きな跳躍を繰り返そうとする。
「え、ちょっと、キュレーっ、うわああああっ!」
 突然のことで、まだ騎乗していたヴァッシュはたまったものではない。すっかり大丈夫と油断していたのが運の尽き、こんどは顔面から地面へ振り落とされてしまった。
「にーちゃん!!」
 エドが砂の上に転がる男に飛び寄る。
「だ、だいじょぶか?!」
「う、うん、ちょっと痛かったけど……」
 頭から砂をかぶった男の顔を見て、父親の方は更に大きな声で笑っていた。
「まだまだのようだな」といって。
「そんなに笑わなくても……」と、ヴァッシュは唇をとがらせる。あまりに大人げない抗議の仕方に、エドまで吹き出してしまうほどだ。
「あー、エドまで笑うことないだろ」
「だって、兄ちゃんの顔……ププッ、あははは」
 ヴァッシュは更に不機嫌な顔になった。エドのことはともかく、父親がいまだ大声で笑っているからである。
「おじさーん!」
 抗議しかけて立ち上がる。しかしそこで、笑い声がもうひとつあることに気がついた。おや?と思い、父親の方を見る。するとその背後に、なんと黒髪の男が腹を抱えて笑っていたのである。
「ウルフウッド!」
「く、……あははは……トン……あはははは」
 ウルフウッドは笑いすぎて喋れないようである。最後には呼吸困難にまでなってしまい、父親がビックリして背中をさすってやらねばならないほどだった。
「牧師様、大丈夫ですかい?」
「いや、あはは、もう、えろうおかしゅうて、でも、もう大丈夫やから……」
 牧師は男の親切に礼をいうと、
「それより、おかみさんが飯やゆーてたで。はよ、戻らな悪いわ」
 といって、また笑った。
「あいつ、牧師様に伝言させるなんて……ほんとすいません」
「おじさん、気にすることないよ。ボク達、泊まる部屋を貸してもらって、食事まで出してもらってるんだからさ」
 父親はウルフウッドに詫びたのだが、応えたのはヴァッシュだった。
「それに牧師っていっても、なまぐさ牧師だからさ、全然ありがたくもないんだよね、実際のところ」
「アホな事抜かすな。ほんま、バチたかりな事ばっかいいよってからに!」
 ニヤニヤと意地の悪い顔の金髪男に、牧師は負けじとにらみ返す。
「ホントのことだろ」
「どこがや」
「トマから落ちた可哀想な青年を見て、息ができなくなるほど笑う牧師がどこにいるんだよ!」
「オンドレのドジを棚に上げて、よーゆうわ」
 今にもつかみ合いになりそうなふたりの間に立って、父親は困った顔で頭を掻いた。
「父ちゃん……」
「エ、エド。母さんがメシだとさ。さあ、家に戻ろう」
 子供の教育上よくないと判断したのだろうか。父親は息子の背を押して、家に帰るよう促した。しかしふたりは、そんな親子を気にとめる様子もない。
「ドジじゃないよ。さっきのは不慮の事故だったんだ!」
「どうやろな。バイクかて満足に運転できんくせに!」
「それとこれとは関係ないだろ!」
「乗り物にはかわらんわ!」
「あの、牧師様。それとヴァッシュ。話しがすんだら、母屋に戻ってくださいよ。メシが冷めないうちにね」
 まだ言い合いを続けるふたりに、父親は遠慮がちにいった。そしてやれやれという様子で、家の方に引き上げていく。ヴァッシュはともかく、きっと、ウルフウッドが本当に牧師であるのか、疑わしく感じ始めたことだろう。心なしか、彼の背中がほんの少しくたびれていた。
「だいたいやな……」
 ウルフウッドはさらに毒をはこうとしている。しかしヴァッシュはエド達が行ってしまうと、パッと言い争うのを止めてしまった。
「おい、なんとかいえや…………トンガリ?」
「…………」
 緑色の瞳が見つめる先。そこにはエドと父親の後ろ姿があった。肩を組み、なにやら楽しそうに話している横顔が何とも幸せそうである。
 ヴァッシュは眼を細め、彼らが母屋の扉の向こうへ消えるまで、ずっとその姿を見つめていた。
 この乾いた大地の上で、みずみずしく輝きを放つ者達がいる。もしかすると本人は気づいていないのかもしれないが、存在しているという事実がなにより素晴らしいことなのだ。そう、ヴァッシュは思っている。
「その顔」
 傍らに立っていたウルフウッドポツリといった。
「なんだい」
「にやけ顔や」
 本当なら「嬉しそうな顔」といったほうが正確であろう。しかし、口の悪さから「にやけ」になってしまうのが、彼らしいのかもしれない。
「いいだろっ、別に」
 ヴァッシュは気にした風もなく、ニッコリと微笑んだ。
「だって嬉しいんだもん。嬉しいときには顔だってにやけるさ」
「嬉しゅうないときかて、へらへらしとるくせに、ようゆーわ」
 ウルフウッドが毒づく。けれど、その意見は聞き流しを決めこむようだ。
「キミはなにも感じないのかい?」
 ヴァッシュが首を傾げた。
「なにがいな」
「いい家族だと思わない?」
「…………」
 黒い眼が親子の背中を見つめる。ややあって、彼はあらぬ方向へ視線を逸らすと「せやな」といった。
 その言葉に、ヴァッシュは心の中で小さくため息をつく。
「さて、お昼ごちそうになろうよ。キミ、朝食食べ損ねただろ?」
「おう、ぐっすり寝さしてもろうた」
 牧師がまた目線を戻して嬉しそうに笑う。ヴァッシュは
(キミだって、嬉しくないときでも笑うくせに)
と思ったが、あえて口には出さなかった。代わりにため息をつきながら、軽く口元をゆがませる。
「なんや、なんや? いいたいことあるんやったら、はっきりいいやあ」
「別に。キミこそ、いいたいことがあるんじゃない?」
 まったくの当てずっぽうである。しかしウルフウッドは、驚いたといわんばかりに目を見開いた。
「なんや、ようわかったな」
「えっ、マジでそうなの?」
「ああ。お前のその格好やけどな」
「え?」
 ヴァッシュは自分の姿を見下ろした。砂で汚れた白い長袖シャツ。そしてダブダブのオーバーオールをはいている。そのまんま、牧場の男といったところだろうか。
「おばさんが貸してくれたんだ。エドのお兄さんのなんだって」
「全然似おうてへんで」
「えっ、うそお? メチャメチャはまってると思うんだけど」
 ウルフウッドが真顔でいうので、ヴァッシュは益々納得がいかない。腕を広げたり、オーバーオールの裾を持ち上げてみたり、その場でできるあらゆる検証をしている。
「ま、あの赤いコートよりはましやけどな」
 ポツリと言って、ウルフウッドは母屋の方へ歩き出した。
「なんだよそれ。じゃあ、なんにも似合わないんじゃないか」
 ヴァッシュはムッとしたように眉をひそめて、同じように母屋へ向けて歩き出した。


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