ディープホールでその地を支配する三人の魔王を仲魔に加え、ダークパレスに安置していた永久の身体と共に、刹那たちは再びライトパレスに舞い戻った。 そのまま最上階のオルゴールルームへと向かう。 オルゴールルームの前は、世界の未来を賭けた最後の戦いが繰り広げられた場所である。 永久の倒れていた場所を見やった刹那の瞳が一瞬翳ったが、彼はすぐに前へ向き直ると、重々しい扉をゆっくり押し開いた。 美しい細工を施した大きな像が安置されている部屋である。奏でる調べが神を喚ぶ場だ。 刹那は大天使を呼び出す鍵であるエンゼルホーンを手に取った。 それを見て取り、同行していたルシファーとゼットが各々本性を現す。 「刹那」 蠅の王の姿に戻ったゼットことゼブルの声に、刹那は彼を振り返る。 まだ見慣れぬこの姿と記憶にあるゼットが安易に結びつかず、刹那は彼に対してどうしても違和感を覚えてしまう。 しかしゼブルはそんな相手の戸惑いなど全く気にする様子はなかった。 「ミカエルは生真面目だから、気をつけた方がいいよ」 本性を現したゼブルだが、口調は変わっておらず、性格も人の姿を借りていた時と大差ないようだった。 「生真面目?」 「うん、まぁ、話をすればわかると思うんだけどさ。ともかく、永久が元に戻るといいね」 「ああ」 頷き、刹那はエンゼルホーンを口元へ運んだ。 ゼブルはルシファーへと視線を走らせたが、大魔王は無表情で腕に抱いていた少年を床に下ろしている。 息子に対して、特に何かを助言するわけでもないらしい。 |
――まぁ、いいか。 個人の性格は事前に話してどうこうなるものでもない。ましてや、交渉ごとの駆け引きなど刹那にはまだ無理だろう。 大天使と大魔王それぞれの性格をある程度把握しているゼブルは、結局、事の成り行きを自然に任せることにした。 エンゼルホーンが高らかと鳴り響く。 音色が周囲に溶け込み、余韻を残して消えた後、刹那たちの前にまばゆい光が出現した。 光が凝縮してゆく。 やがてそれは大天使ミカエルの姿をとった。 ミカエルはゆっくりと目を開く。 エンゼルホーンを手にした刹那を見、ゼブルとルシファーの姿を確認した後、大天使はおもむろに口を開いた。 「再び召喚されるとは思いませんでした。ディープホールでゼブルを仲魔にしたのですね」 「大天使ミカエル。あんたに頼みがある」 無言で続きを促す大天使へ、刹那は望みを口にした。 「永久を、生き返らせてくれ!」 しばしの沈黙が流れる。 ミカエルの口から言葉が紡がれた。 「できません」 刹那の目が見開かれた。怒号が溢れ出る。 「何でだよ!!あんた永久の父親だろ!?」 「公私混同できる問題ではありません」 「ふざけるな!勝手に魔界に呼び寄せて、世界の命運背負わせて、全部終わったら忘れるのか!?」 激昂する刹那とは対照的に、ミカエルの眼差しは静謐そのものだ。 それが少年の怒りに火を注ぐ。 「あんたが……あんたが永久を巻き込まなかったら、あいつは死んだりしなかった!エンゼルやデビルや魔界、そんなものとは無縁でいられただろ!?」 「敵対した貴方がそれを言いますか?」 静かな言葉が刹那の胸を貫いた。 凍り付いた少年へ、ミカエルはただ事実を述べる。 「確かに永久を呼んだのは私です。そしてあの子は我々の選択を支持しました。貴方がルシファーの選択を支持したように。結果、双方が戦い、ラグナロクが発動した。貴方がたの理想のままに」 刹那が目を伏せた。固く握りしめられた両手が小刻みに震える。 「オレは……永久を助けるために……そのために、魔界へ……」 「永久の死は、覆りません」 希望を断ち切るその響きが、刹那を奈落へ突き落とす。 ゼブルの表情が剣呑さを帯びた。 その時。 「それだけ飾り立てねば、本心は隠せぬか」 怜悧な声に鋭い視線が飛んだ。 憎悪すら感じさせる視線を平然と受け止め、ルシファーは大天使を注視している。 「……どういう意味です?」 「では言い方を変えるとしよう。そうして心を偽るのか?」 「…………」 ミカエルの顔から表情が消えた。 先ほど一瞬見せた憎悪も失われ、能面のような無表情がルシファーの視線を捉えている。 「既に選択は為し得られた。最早刹那にエンゼルの力は必要ない」 「天意に背くことはできません」 「何の天意だ?」 それまで淀みなかった受け答えに、一瞬の時間差が生じた。 「私利私欲は秩序を乱します」 「大天使であるがゆえに、か」 ルシファーが深く息を吐いた。 そして、無言で成り行きを見守るゼブルを見、力無く彼を見上げる刹那の瞳を捉え、床に横たわる少年を見やり、再度大天使に向き直る。 「ならば、あの娘への想いも偽りか」 大天使の能面に罅が入った。 かすかに見開かれた瞳が、その奥に隠された感情を物語る。 「刹那の存在を知ってなお彼女を望んだ、おまえの感情は偽りだというのか?」 ミカエルは再び無表情の仮面を被ったが、すべてを隠しおおすことはできなかった。その瞳の揺らぎが、内面での感情のせめぎ合いを物語っている。 ルシファーの口調は変わらない。 「彼女が命を賭して産み落とした子を葬るのが天意だと?」 「あなたが彼女を望まなければ、命を落とすことはありませんでした!」 血を吐くような叫びに、その場の全員の視線がミカエルに集中する。 既に仮面は取り払われていた。 ルシファーとの対話が始まってからは、ミカエルの声音に若干の変化が生じていた。しかしこれまで喜怒哀楽を全く表にしなかった大天使が初めて露わにした怒りに、刹那はもちろん、ゼブルさえも圧倒されている。 そして、矛先であるルシファーは、動じることなくミカエルの感情を受け止めていた。 「確かに非は私にある」 淡々と述べられた言葉に、ミカエルの表情が悲しげに歪む。 ルシファーは刹那を見やった。続いて、床に横たわるその弟を。 「だからこそ、彼女の夢を叶えたいのだ。この少年の命数はまだ尽きてはいまい」 「…………」 「人間に慈愛を説く天使が、その感情を否定するか」 視線だけをミカエルに向けたルシファーの声は、詰問に近いものだった。 大天使の瞳に、幼い少年の姿が映る。 ルシファーが動いた。 右手をかざしたその先には、永久の身体が横たわっている。 「父さん……?」 刹那の声を無視し、ルシファーは冷たく言い放つ。 「ならばこの永久の器、生かしておく必要もあるまい」 ルシファーの腕に光が宿る。これまでの戦いで幾度も目にした、強大な力を放つ、あの光だ。 「父さん!」 飛び出そうとした刹那をゼブルが抑えた。 抗議の声を上げる暇は無かった。ルシファーの腕が力を発する。 「永久!!」 爆風が巻き起こった。 粉塵の中、飛び散る大小の石が刹那の眼前ではじかれる。 しかし、刹那に自分たちがゼブルの張った防壁によって守られていると気づくゆとりはない。 「永久、永久っ!!」 ゼブルを押しのけようとしながら、刹那は幾度も弟の名を叫ぶ。 だが、本性を現したゼブルの力に適うべくもない。 そこへ一陣の風が巻き起こった。 瞬く間に粉塵を吹き飛ばし、視界が開ける。 まず目に飛び込んだのは、永久に手をかざしたままのルシファーの姿だった。 しかし、力によって大きく抉られた床の中で、永久の身体は先程と変わりなく横たわっている。 正確には、永久を中心に円を描いた部分だけが、まったくの無傷だった。 弟の無事を確認した刹那の身体から力が抜ける。 ルシファーが顔を上げた。 その瞳が困惑と驚愕のない交ぜとなった表情を捉える。 ミカエルはルシファーの瞳から逃げるように、己の掌へと視線の先を転じた。 「何故、止めた?」 「私は……」 大天使は言葉に詰まり、目を伏せた。 その口から、低い声が漏れる。 「……かりそめの感情で理に背くことは、生命の輪廻を乱します。いえ……」 ミカエルは、力を放ち、永久を守った手を握りしめた。 「何より、身勝手で甦らせた命がどのような咎を受けることになるか……」 絞り出すようなその声音に、刹那はようやく理解した。 我が子の蘇生を拒否した、ミカエルの本心を。 ルシファーの瞳が和らぐ。 「永久は己が使命を全うしたではないか。もはや束縛を受ける必要はないだろう」 ミカエルは改めてルシファーを見やった。 自身に向けられる大魔王の表情に、大天使の手から力が抜ける。 ミカエルの瞳に決意の色が宿る。そして、大きな翼をはためかせると、刹那の傍らに舞い降りた。 「甲斐刹那。貴方に与えられたその力、返していただきます」 刹那が頷いた直後、その身体から淡い光が発せられた。 光は凝縮され、ミカエルの掌の間近で光球となる。 ミカエルは永久の元へ舞い降りると、傍らに膝をついた。 光が永久の身体に吸い込まれる。 一瞬だけ淡い輝きがその身体を覆い、やがて解けるように光が消えてゆき……。 「ん……」 永久が、軽い身じろぎと共に目を開いた。 「永久!!」 刹那が弟に駆け寄り、両手でその肩をつかむ。 「永久、オレがわかるか?」 勢い込んだ声に反応するように、永久はゆっくりと首を動かした。 ぼんやりとした瞳が焦点を結ぶ。 「兄さん……?」 掠れた声は弱々しかったが、間違いなく永久のそれである。 刹那は弟の身体を強く抱きしめた。 「良かった……!!」 肩に顔を埋めて身体を震わせる刹那をぼんやり見つめた後、永久は周囲に視線を巡らせた。 兄に抱きしめられて力の抜けていた身体に、緊張が走る。 異変を感じた刹那が顔を上げ、呆然としている弟の視線を追った。 「……ミカエル……様……」 ミカエルは、床に膝をついたまま、間近から永久を見つめていた。 永久が目を伏せる。 「申し訳ありません、ぼくは……」 「永久」 深みのある声に優しく耳朶を打たれ、永久はそっと顔を上げた。 ミカエルが、わずかに首を横に振る。 「これは天の配剤です。私たちの代弁者として共に進んだ貴方に咎はありません」 「でも」 「選択は為されました。ラグナロクによって世界は動き始めたのですよ。今後どのような未来が創られるのかはわかりませんが、私たちはそれを己の目で確かめることになるでしょう」 「ミカエル様……」 「これからは自由に生きなさい。貴方自身の望むままに」 ミカエルの翼が翻った。 輝く白い翼をはためかせ、大天使は空へと舞い上がる。 「ミカエル様!!」 思わず立ち上がった少年へ、ミカエルは微かな微笑みを返した。 「元気で、永久」 大天使が飛び去った後も、永久はその姿を見送ったまま、立ち尽くしていた。 やがて、永久は寂しげに視線を落とす。 その肩に、暖かい手が触れた。 「帰ろう、永久」 「兄さん……」 ひどく頼りなげな弟に刹那は微笑みかける。 永久は小さく頷いた。 「ま、今生の別れってわけでもないし」 二人が声の主を見やる。 再び仮の、二人にとっては見慣れた人間の姿に戻ったゼットがそこにいた。 「それ、どういう事?」 永久の問いかけに、ゼットは肩をすくめてみせる。 「だからさ、息子が親父に会いに行くのに遠慮はいらないって事」 あっけらかんとしたゼットとは対照的に、永久の表情が翳る。 弟の気持ちを代弁するように、刹那が問いかけた。 「だけど、どうやってミカエルに会いに行くんだ?」 「魔界には天界へのゲートが存在する。おまえならば通過することができよう」 「父さん」 こちらも仮の姿を取ったルシファーが、刹那に頷きかける。 そして、永久の前に歩み寄った。 咄嗟に身を固くした少年へ、ルシファーは穏やかな笑みを向ける。 永久の表情に戸惑いが浮かんだ。 「我が子は何より愛おしいものだ。ミカエルは口数が少なく感情を表に出さぬ故、伝わりにくいとは思うがな」 「…………」 永久にしてみれば、つい先程まで刃を交えていた相手である。あの時とは異なり、全く敵意を感じない……否、むしろその表情に慈愛すら感じられるとはいえ、発言をすんなりと受け入れることは難しい。 そんな少年へ、横合いからからかうような声がかけられた。 「ルシファーの言葉は信じられない?」 永久が声の主を振り返る。 視線の先で、腕組みしたゼットが悪戯っぽくルシファーを見ていた。 「一応敵対してたし信じにくいのはわかるけどさ、ミカエルのことなら誰よりわかってると思うよ。何せ血を分けた兄弟なんだから」 「え!?」 期せずして刹那と永久の声が重なった。 二人の少年にまじまじと見つめられたルシファーは、横目でゼットを一瞥する。 「ゼブル」 「いいじゃない、別に隠すようなことでもないし」 澄ました顔で言外に含まれた非難をかわすと、ゼットは永久に軽く笑って見せた。 「あんまり深刻に考えることないって。永久はミカエルの息子なんだから。ま、相手がああいう堅物だとちょっと息苦しいかもしれないけどさ」 「ミカエル様は御自分に厳しいんだ」 ゼットが少し目を丸くする。 そして、口を結んだ永久の様子に、歯を見せて笑った。 「やっぱり、親子だよなぁ」 ルシファーの口元にも楽しげな笑みが浮かんでいる。 そんな三人のやりとりを見るうちに、いつしか刹那も声に出して笑っていた。 |
――大丈夫。 これで、全てが終わったのだから。 「兄さん、いつまで笑ってるの」 口をとがらせ、少しむくれた永久が抗議する。いつも表情で。 「ごめんごめん」 謝りつつ、刹那はなんとか笑いをおさめた。 そして、弟に手を差し伸べる。 「帰ろう、永久」 永久は刹那を見上げた。 その顔に、屈託のない笑みが浮かぶ。 「うん、一緒に帰ろう、兄さん」 頷いた永久は、しっかりと兄の手を握りしめた。 ──了 <あとがき> 初のデビチルです。(赤の書ネタバレED部分は反転しています) 刹那の目的は「永久を連れて地上に帰ること」ですから、ラストバトルで永久が消えてしまうあのシーンはかなりつらかったです。 黒の書のラグナロクEDでは、永久についてほとんど描かれていなかった為、死んでしまったと思い込みまして……何とか彼に地上に戻って欲しくて、この話のプロットを組み立てました。 先に遊んだ「赤の書」のカミEDいつもと変わらない刹那と永久の姿を見ていたせいもあると思うんですけど。未来がいなくなった事を寂しがってはいましたが、弟と一緒の刹那が幸せそうだったんですよね。 実は、書き上げてから気づきました。 その後のシリーズで、永久がヴィネセンターの対戦相手として出現しているんですよ! というわけで、この話はオリジナル展開のパラレルということで、大目に見ていただけると嬉しいです(苦笑)。 途中で少し触れた刹那ママとルシ様やミカエルの馴れ初めも、いずれ書ければと思っています。 (刹那、永久、未来の名前を漢字に修正(04/05/16)) |