──気づいた時、彼は新橋駅の構内に舞い戻っていた。
 肩で大きく息をつき、あちこちに亀裂の入った壁に身をもたせかける。
 智晴は、直樹と共に逃げたはずだった。
 恐らくあれから荻原の部下である金髪の男──ベイツと言ったか、あの男に捕まり、洗脳されたのだろう。最後まで戦っていた智晴もまた相当な深手を負っていたはずである。逃げ切る事は無謀に近い。
 そして、自分の力では智晴の正気を取り戻せないということに、薫は気づいていた。自分以外の誰か…直樹か、彼の妹ならば、あるいは成功するかもしれない。だが…。
 同時に、直樹があの後どうなったのかが気にかかった。
 彼はパルチザンに入隊してからまだ日も浅く、戦闘にも慣れ始めたばかりだったのだ。あの混乱の中、果たして無事逃げおおせたのだろうか。
 他にも気になることがあった。
 智晴がこの時代にいるということは、荻原が時間を行き来する方法を手中に収めているということに繋がりはしないだろうか?
 ……あの男は何者だ?
 何故、時間を行き来することができる。何故東京を占拠した?
 その時である。
 鋭い誰何の声が薫の耳に入った。


「薫!薫じゃないか!」
 彼がつい先程まで思い描いていた人物が、喜びを満面に浮かべて立っていた。
 傍らには、1人の娘の姿がある。20歳には至っていないだろう。高校生くらいの少女だ。
 直樹は共に目黒技研に入った時よりも、大人びて見えた。戦いに場慣れした者の姿に、薫は目を細める。
「なんだか見違えたな、直樹」
「そうかなぁ…。ところで、薫も智晴の行方はわからないようだね」
「…俺もお前と一緒にいるとばかり思っていたんだが…」
 薫は自分の手札をすべて隠したまま、これだけを言った。
 ここから外に出れば品川に入ることになる。
 この賭けが吉と出るか、凶と出るか。凶と出たならば、その時は…。
「直樹、俺はもうお前とは一緒に行けないんだ」
 続けた言葉は本心だった。先ほどの“力”は異質のものだ。人間にはありえない。あの力を発した瞬間に、薫は自分が変わった事を感覚的に理解していた。
「俺はお前と戦う資格を、もう持たないんだ!」
 あらゆる意味で、薫はそう思っている。脳裡に浮かぶのは、壊滅したパルチザン本部の惨状。誰も助ける事ができなかった。
 直樹の前から姿を消す為の口実として口にした言葉は、続けるほどに自分の内なる感情を露にしてゆく。
 だが、直樹にその真意が伝わるはずがない。
「何だよそれ!何言ってんのか意味が全然わからねぇよ!」
 案の定、直樹は怒り出したが、薫は続けた。
「わかってくれ、直樹。もう以前とは違う」
 それだけを口にすると、薫は直樹に背を向け、駅を飛び出した。
 直樹の声が自分を追う錯覚を感じつつ、薫は駆けた。直樹が単独行動をしていたなら、追いかけてきたかもしれない。だが、今は同行者がいるのだ。無理はしないだろう。
 直樹達が追って来なかった事を確認した上で、薫は品川の付近に身を潜めた。
 しばらく後、2人が品川の街に入るのを確認した。後を追う。
 もしも、智晴が正気を取り戻さないようならば……。
 薫は腰に下げた刀に手を伸ばした。
 果たしてこの行動が、償いになるかはわらない。だが、他に術がないのだ。
 智晴の無表情な声。直樹の叫び。そこで薫は直樹の連れていた少女が智晴の妹だと知った。
 だが、短剣を振り上げた智晴を視界に捉えた時、彼はその場に飛び出した。
「智晴、直樹のこともわからないか!!」
「薫!?」
 3人の視線を受けつつ、薫は直樹を見る。
「直樹、すまん!せめてお前や妹を見れば、智晴も正気を取り戻すと思ったんだ」
 ここで薫は智晴に向き直った。突然の闖入者によって行動を止められたが、智晴は短剣を構えてこちらの隙をうかがっている。
「だが、ヤツは元に戻らない…ならば、せめて俺の手で倒してやりたい。最後までこのままでも、俺が倒してやれば……。お前は先に進んでくれ。こんなことは、お前にはさせられん!」
「なんでだよっ!なんでこんな事になってんだよ!?薫、なんでおまえだけっ!!」
「来い、智晴!刺し違えてでもお前はこの俺が倒してやる!」
「違う!違う違う違う違うっ!!」
 思考の外にあった少女の悲痛な声が、2人の言葉を遮った。
「さっきから、みんな…みんな、わがままばっかり!……どうしてなの…?こんな…こんなの絶対いやあーっ!!」
「!?」
 少女の中で何かが弾ける感覚が伝わってきた。
 薫がそう実感したのは、内なる“力”の感知、というものかもしれない。彩耶の中で何かがはじけたのだ。
 周囲は彼女の内から発せられたオーラに包まれた。不可思議な、すべてを呑み込みながらも包み込むようなやさしい光が辺りを埋め尽くす……。
 その輝きが失われた後に悪魔達の姿は影もなく、薫、直樹、彩耶、そして智晴の姿が残されていた。
「…オレは…一体何をしていたんだ…!」
 半ば呆然と呟く智晴にの胸に、彩耶がしがみつく。その口から切ないほどか細い、しかし大切な人への想いをこめた声が漏れた。
「お…にいちゃん……おにいちゃん、おにいちゃん……」
 智晴は彩耶を見下ろした。
 その手が、ゆっくりと妹の頭に触れる。
「彩耶は…彩耶はもう…おにいちゃん!!」
「…ありがとな、彩耶」
「おにいちゃん…っ!」
 彩耶が声を上げて泣いた。
 智晴はそんな少女を抱き締める。悔恨と苦悩、そして安堵。1年の間探し続けてきた妹が、ようやく彼のもとへと帰ってきたのだ。
 そんな2人を見つめていた直樹が、静かに切り出した。
「なぁ、智晴。また3人でやってこう。彩耶も含めて、4人でさ。おれたち、もうこのまま黙って引き下がるわけにはいかねぇだろ!」
「…いや、オレはもう…」
 直樹から視線を外し、智晴が俯いた。つい先程まで仲間に刃を向けていたのだ。相手にそう言われても、簡単に気持ちの整理がつくはずがない。
 薫が智晴に1歩、近づいた。
「直樹と行こう、智晴。これ以上彩耶に悲しい思いをさせるつもりか?…わかっているだろう。悪いのは、お前じゃないんだ」
「……」
「そうだよ。それに大体、お調子者のおまえにゃそーゆーのは似合わねーんだよっ!」
 少しカラ元気を含んだ直樹の混ぜっ返しだったが、効果はあった。
「あっ、てめー、そういうこと言うか!?」
 思わず智晴が声を上げた。まるで共に行動していた頃のように。対する直樹がにやりと笑って見せると、智晴は腕を組んでその顔を直視する。
「よーし、よぉくわかった」
「アニキってばムリしちゃってぇ。ホントは嬉しくせにぃ」
「彩耶!てめーも!!」
「うわー、怒ったぁ!直樹君助けて〜」
 誰ともなく笑い出し、小さな笑いが広がってゆく。
 智晴を打ち解けさせた直樹は、先程再会した時とは違った意味で大きくなっているようだった。別れている間に、精神的に成長していたのだろうと思う。…おそらくは、自分よりも。
 頼もしいだけでなく、何かを持っているのだ、直樹は。
 薫は改めて直樹に向き直った。
「直樹、騙してすまなかった」
「いや。そんなこと、もういいんだ。だから…さ」
 直樹の言わんとする事が、伝わってくる。
 薫は彼に笑みを向けた。
「また、よろしくな」
 直樹の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「薫…もちろんだよ!」


 目黒技研2階の小部屋で、1人の女性が彼らを待ち受けていた。
「君は…あの時の…」
 驚く直樹の様子から、彼が目の前の女性と出会っていた事を誰しもが察した。
「待っていたわ。さぁ、あなたたちを元の時代へ帰してあげる」
「君は一体誰なんだ?どうしてここにいる?」
「……」
 手元のマイクを口元へ運んでいた手が止まり、彼女──カレンは直樹を…直樹達を見た。
 その手を下ろし、カレンは思案げな表情で続ける。
「そうね、一度“時間の輪”を越えてしまったあなたたちには、それを知る権利があるわね」
 そうして彼女は、本来の時間の流れと、そこに存在する人間について語り始めた。その間、何故か薫は彼女に対してうまく言葉にできない、けれども何か暖かなものを感じていた。
 その感覚が断ち切られたのは、1人の男の名が出た時である。
「荻原もまた、イントルーダーなの」
「ヤツを知っているのか?」
「荻原はAD2052の人間なの。彼がイントルードしたその目的はわからない。でも、彼は再びAD1995へイントルードしたわ。今回の目的は…直樹、あなたのご両親を殺す事よ」
 薫の問いに明確な答えを出さぬまま、続けられたカレンの言葉に、直樹が驚愕の声を上げる。
「どういうことだ!?何故荻原が親父たちの命を狙う!!」
「それは…本人の口から聞くべきね」
 次の瞬間、カレンの背後に人影が現れた。数は2つ。
「…親父、お袋…」
「直樹、ごめんね。私達の勝手で…」
「言い訳なんか、聞きたくねぇ!」
「直樹!」
 激昂する直樹を薫が抑えると、直樹の父・武内博士は、息子へ事実を伝えた。言外に含まれる悲痛な思いは、果たして息子に伝わっているのだろうか。
 政府の要請により開発されていたFASS。
 その開発中、イレギュラーで開発された『DIO』。政府による興味。続けられた研究。もはや完成間近のシステムは、軍事目的に利用される事が明白だった。ラボの爆発事故を起こした夫妻はAD2024へ未完成のFASSを使用し、『DIO』のメインプログラムを持って脱出したのだ。
 荻原の真の目的は『DIO』であるらしいこと…。
 …何の為に、だろうか?
 カレンがAD2654から派遣されたTimeparadox-Warring-Operation、TWOの一員であり、この事態の調査の為にここにいるとの話を聞きながら、薫は考えていた。
 荻原の制圧下の1年間、悪魔と人間の戦いはあったが、彼自身が人々に圧政をしくといった事は全くなかったのだ。権力欲しさという線は捨ててもいいだろう。
 目的が見えない。武内夫妻の抹殺を今になって実行しようとした意図はどこにあるのだろうか。
 『DIO』システムは悪魔とコンタクトを取り、協力を要請できるものだが、それを1995年で手に入れなければならない理由があるとするならば、イントルードの必要があるだろう。
 自分の時代ではなく、イレギュラーで開発された時代に、開発者を殺めて入手すべき理由。初めて作られた『DIO』を……何の為に?
「私の話はこのくらいにして、さぁ、急いで!AD1995の武内夫妻を荻原から守ってあげて!!」
 カレンの切羽詰まった声が、4人からの質問を許さなかった。
 一瞬後、4人はAD1995の目黒技研内にいたのである。


「よっしゃ、これでようなく品川だな。きっちりオトシマエつけてやる」
 気合の入った智晴の口調に、彩耶がことさらに大きな声を上げた。
「ヤだな、まだそーゆーこと言ってるのって」
「そうは言うけどな、これははっきりカタつけなきゃならねーだろうが」
「…俺はヤツに大きな借りがあるからな…」
 独り言のように薫が呟く。
 智晴は不満気な彩耶から視線の先を転じた。
「なぁ?直樹」
 同意を求められ、何故か直樹は押し黙る。
「…直樹?」
「おれは…彩耶の言う通りだと思う」
 智晴が口を開くより先に、直樹は続けた。
「薫や智晴の気持ちもよくわかる。おれだってそう思う時もあるさ。だけど、おれたちは仕返しする為だけに戦ってるわけじゃないだろ?…だから、彩耶の気持ちを大切にしていくべきだと思う。そうしたいんだ」
 復讐という感情に捕われることなく、大局を見られる人間は滅多にいないだろう。そう、薫は思う。
 自分にはできないことだ。荻原の目的がわかりかけてなお、あの男を目の前にした時、己の内にある怒りを自制できるという確信を持つことができない。
 だが、直樹の言葉も、彩耶の思いもわかるつもりだ。
 薫は彩耶を見た。少し寂しげな表情の彼女へ、素直に詫びる。
「悪かったな、彩耶。確かに直樹の言う通りだ」
「…覚えとくよ、今の話」
「うん!」
 2人の返答に、ようやく彩耶は笑みを浮かべた。


 品川での激しい攻防戦を終えた4人の前に、白いスーツ姿の背の高い男が現れた。
 忘れられるはずがない。
 1年の間、東京を占拠していた男、荻原だ。
 彼は敵対する4人に瞳を向けた。その中には感嘆の色が窺える。
「君たちには少々…いや、正直言ってかなり驚かされている。君たちの力を認めよう。そこで、私との会見に応じて欲しい。どうだろうか?」
 直樹と智晴が薫を見た。
 薫は静かすぎるほど落ち着いた様子で荻原を見つめていたが、その視線の先を直樹に向けた。
 そうして、一言だけを告げる。
「直樹。お前に任せる」
 智晴が口を開きかけ、押し黙った。
 彩耶は不安げに成り行きを見守っている。
 直樹の瞳が問いかけてきた。それに軽く頷いてみせると、彼は荻原に向き直る。
「わかった。会見に応じよう」
 直樹の答えを受け、荻原は続けた。
「それでは明日、我が執務室にて。時間は11時からということで良いかな?」
「その辺はそちらに任せる。迎えの者を出してくれると、こちらとしてはありがたい」
「承知した。では明日、11時に」
 そして、荻原は4人に背を向け、この地での拠点としている建物へと姿を消した。


 その夜。寝つくことができなかった薫は、宿の窓から月を眺めていた。
 私情を交えず荻原の行動を追ってみると、ひとつの解答が浮かぶ。
 あの男の、真の目的は……。
 だが。再び対峙した時、果たして自分は冷静に彼の行動を見ることができるだろうか?
 ──答えは、否である。
 あの惨状を。仲間の死を。薫は思い出さずにはいられない。
 本来熱しやすい性格なのは、自分でもわかっている。タガがはずれれば暴走しないとも限らない。
 …直樹なら。
 復讐の為にここにいるのではない、といった彼ならば。荻原の真意を汲み取ることもできるだろう。
「すまない、みんな……」
 声にならない声で、薫は仲間に詫びた。
 だが、決して彼らの死を無駄にはしない。東京を守り、平和な街を取り戻してみせる。
 晧晧とした満月に見下ろされながら、静寂に満ちた夜は静かに更けていった。

                   
──了


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<あとがき>
 初めてゲームをプレイしてから、ずっと気になっていた薫の単独行動していた頃を書いてみました。いかがでしょうか。
 薫はある意味荻原と一番近い位置に立っていた人間であるように感じます。それゆえに、荻原の真意を最初に感じとったのも彼ではないでしょうか。STAGE−3の最終面荻原との会見というターニングポイントで、直樹交渉を任せたのも、自分では荻原の考えを察しつつも共闘の申し出を受ける、あるいは口にすることができないとわかっていたためではないかと思っています。