06 おしゃべり (サモナイ3・ミスミ&アルディラ) 「そなたがこの屋敷を訪れるのも久方ぶりじゃな」 一口茶を啜ると、ミスミは隣に座る女性に微笑みかけた。 折しも午後の昼下がり、二人がくつろぐ鬼の御殿の縁側は、ひなたぼっこには丁度良い頃合いである。 郷の主の視線を受け、アルディラは軽く肩を竦めた。 「護人がそう簡単に土地を空けるわけにはいかないもの。だけどレックスが突然、家庭訪問に同行して欲しいなんて言いだして……。そのくせ、本人はスバルたちと遊びに行ってしまうんだから」 言葉はそっけないが、表情は穏やかである。 ふふ、とミスミは袖で口元を隠して笑った。 そんな彼女をちらと見やった後、アルディラはゆっくりと庭の景色を一望する。 「ここは、変わらないわね」 「そうじゃな。日々の暮らしはそう変わらぬ。平和な証拠じゃ」 「そうね……」 目を細めるアルディラの表情に旅愁の色を感じとり、ミスミは懐かしい人物の名を口に乗せた。 「良人も、安堵しておるじゃろう」 アルディラは一瞬目を伏せ、ミスミを見る。 「本当はね、今の島の姿を見て欲しかったの……」 口に出さずとも、それが誰を指すかは明白だ。 「最後に一目、会うたのじゃろう?」 アルディラは頷く。 「もともと、シャルトスに一部の意識が残っていたらしいわ」 「あの剣と共に在ったということか……。ならば確信しておったろうな。この島の今の姿を」 笑みを浮かべ、ミスミは静かに言葉を継ぐ。 「良人も常々言うておった。あやつは理想が高すぎると。けれど、共に叶えたくなるともな。その眼鏡に適った者に後を任せたのじゃ、当然であろう?」 「……ええ……」 遺跡は機能を失い、二本の剣はそれぞれに姿を変えた。 ハイネルと連なったものが全て消え去った事で、その存在もまた、永遠に失われたのである。 ──彼の望んだ夢だけを遺して。 遠くから、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。 どうやら、遠出から戻ってきたらしい。 ミスミはそちらを見やり、目を細めた。 「集落の間では必要以上の行き来をせぬと取り決めておったが、子供らには通用せなんだな」 スバルがパナシェやマルルゥと仲良くなった当初の騒動を思い出し、ミスミは小さく笑う。 「だけど、本当は交流が必要だったのね。今ならわかるわ」 島の中で諍いを起こさず平和に暮らすためには、同族同士が集うのが一番である。 故に、集落が成立し、その代表者たる護人の集いが数少ない他集落との交流手段となって久しかった。それが共存だと島の住人の誰もが思っていたのだ。 しかし、それはあくまで大人の論理である。 発端は、ミスミの息子スバルだった。 しかし、スバルが周囲の制止も聞かず、ユクレス村に出入りするようになっても、集落間ではさほど大きな騒ぎにはならなかった。 ユクレスの護人ヤッファが、細かなことにこだわらない性格だったせいもあるだろう。 しかし何より、子供の行動として大目に見られた点が大きかったのかもしれない。 「知らぬが故にわだかまりを持たぬ、なればこそ見えぬ垣根を越えられるのやもしれぬな」 鬼の子スバルはユクレスの少年パナシェや妖精マルルゥと仲良くなり、島中を一緒に遊んで回るようになった。 ──大人達が築いていた集落間の壁は、子供たちには何の力も持たない。 それを知った時、ミスミは子供の順応力に未来への可能性を見た気がしたのだ。 不意に、アルディラが立ち上がった。 目を丸くして、近づいてくる人影を見つめている。 「レックス、どうしたの!びしょぬれじゃない」 「あはは……ちょっとね、池に落ちちゃってさ」 彼女へ照れ笑いを返しつつ、派手なくしゃみをする赤い髪の青年こそが、この島を変えた当人である。子どもたちの教師をつとめる優しい人物であり……。 「先生、大丈夫?」 彼を取り囲むように一緒に戻ってきたスバル、パナシェ、マルルゥの三人も、心配そうにその姿を見上げている。 「今日は変だったよ、いつもならひょいひょいって飛んじゃうのにさ」 「ごめんごめん」 口を尖らせているが心配そうなスバルに小さく微笑み、直後レックスはくしゃみを連発する。 「すぐに湯を用意させよう」 ミスミは奥へと指示を出すと、アルディラを呼び寄せて用意させた大判の手ぬぐいを手渡した。 「ありがとうございます」 「ごめんなさいね」 「気にするな。どうせスバルが強引に誘ったんじゃろう?」 駆け寄るアルディラ手ぬぐいを受け取り、レックスは大雑把に水分を拭き取った。 部屋を濡らしては悪いからと遠慮する彼を強引に畳に上げ、アルディラと共に湯殿へ案内させる。 二人が奥の間へ姿を消すと、子供たちは居心地悪そうにもじもじしていた。 「一体何をしておったのじゃ?」 「蓮飛びだよ」 「それで濡れ鼠というわけか」 ミスミは苦笑した。 大蓮の池の蓮の葉は「お化け水蓮」と呼ばれる程大きく、子供が乗って遊んでもさほど害はない。 だが、大人の体重を支えるには無茶がある。池に落ちる確率も格段に増すだろう。 「でもさ、いつもならおいらよりずーっと早くに渡っちゃうんだぜ。なのに今日はぜーんぜんやる気なし」 「そうですそうです、先生さん、ぼんやりしてましたよねぇ」 二人の話を聞いたミスミは、ころころと笑った。 「おぉ、そうであったか。それは先生に悪いことをしたの」 名目上は家庭訪問だったのだが、アルディラも誘って屋敷を訪れるよう頼んだのは、ミスミ自身だったのである。 アルディラと二人、屋敷でゆっくり語り合いたいと思っての事だった。 普段、彼女が他集落へ出向く際の、用件を持った訪問ではない、茶飲み話の相手として。 だが、レックスとしては、やはり彼女のことが気がかりで仕方なかったのだろう。 納得した様子のミスミに、子供たちは顔を見合わせる。 「母上、どういうこと?」 「先生はアルディラが心配でならぬだけじゃ」 スバルは瞬きをした。母親の答えの意味がわからないらしい。 パナシェやマルルゥもきょとんとした顔でミスミを見上げている。 「でも、アルディラさんはミスミ様とお話ししてただけですよね?」 「別に危険なことなんてないじゃんか」 「そうじゃなぁ。あと10年もすればそなたらにもわかるやもしれん」 「なんだよ、それ」 口を尖らせるスバルを見やり、ミスミはゆったりと微笑んだ。
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(2005.03.13up) |
07 お菓子 (サモナイ3・クノン&フレイズ+アルディラ) 珍しい人物の訪問に、フレイズは少し驚いた表情を見せた。 「こんにちは。どうしました?」 相手は本来、必要最低限の言葉しか交わさない、機械人形の少女である。 彼女がラトリクスを離れることはまずあり得ない。急を要する用件で、狭間の領域を訪れたのだろう。 どこかで何らかの異変が起きたのかとフレイズが考えた、その時。 「実は、貴方にお願いしたいことがあるのです」 「お願い、ですか?」 「はい」 一途な瞳を向けながら、クノンが応える。 「お菓子づくりを教えていただけないでしょうか」 意外な申し出に、フレイズはまじまじと相手の顔を見返してしまった。 「……お菓子、ですか?」 「はい。レックスさまから、フレイズさまがお菓子づくりを得意としていると伺ったのです」 「得意という程では。好きな事が長じただけですよ」 こう応じたものの、相手の顔に浮かんだ不審げな表情を見て取ったフレイズは、この少女に照れや遠慮は不要と悟り、改めて質問をする。 「どうしてお菓子づくりを学びたいと思ったのですか?」 「食べていただきたい方がいるのです」 意外な返答だったが、その意味は納得できた。 彼もまた主と呼ぶ存在を持つ身である。 フレイズは頷いて笑みを浮かべた。 「わかりました。私で良ければお教えしましょう」 「ありがとうございます」 感情の起伏に乏しいはずの少女・クノンが微笑みを浮かべた事に驚きを隠せず、この時フレイズは思わず目を丸くしてしまったのである。 「嬉しいって感情は人それぞれだから、型にはめられるものじゃないんだよ」 レックスは一生懸命考えながら、自分の言葉で『嬉しい』という気持ちを説明してくれた。 解決方法は自分で探すしかないんだよ、と。 クノンにとって、初めて知り得た、極めて難しい問題だった。 ――相手に喜んで欲しい、という気持ち。 『嬉しい』をそれぞれが感じる方法……。 数日後、休日の青空教室を借りて、フレイズ主催のお茶会が開かれた。 臨時で設置された大がかりなテーブルには、彼の教室で作られたお菓子が所狭しと並べられ、紅茶やコーヒーなどの飲み物も用意されている。 あの日、フレイズがクノンの申し入れを受けた事がカイル達の知るところとなり、まずソノラやスカーレルやアリーゼがお菓子づくり講義の参加を希望したのである。 更にマルルゥやミスミが加わり、島の女性達の参加希望者を受け付けるうちに、教室と言えるほどの規模になった、その結果だった。 大半の参加者が女性であった為、フレイズのフェミニストぶりが遺憾なく発揮され、彼のファンも増えたらしい……のだが、これはまた別の話である。 好天に恵まれた休日の午後、お茶会を訪れた島の人々は、出されたお菓子に舌鼓を打ちながら、思い思いに楽しんでいる。 今日は一日仕事を休んでこちらに専念していたクノンは、準備から始まる段取りをこなしていたものの、内心全く落ち着いていなかった。 新しい客人が訪れる度、顔を上げては微かな息をつく。 そのせいか、思い描いていた待ち人が姿を現すと、我知らず、肩の力が抜けてしまった。 いつしかひどく緊張していたことに、改めて気づく。 「アルディラさま。お待ちしておりました」 「大盛況ね。なんだか圧倒されちゃうわ」 アルディラの感想通り、実に多くの人々が、このお茶会を訪れていた。 お茶会という名目上、ユクレス村や風雷の郷の住人が大半を占めるが、雰囲気を楽しみに訪れる狭間の領域の住人の姿も見られたし、その中には親しい顔も混じっている。 「これ、母上が作ったのか!」 「ああ。どうじゃ?スバル」 「おいしい!」 すぐ側でのやりとりに、アルディラが笑みを浮かべた。 「クノンが作ったお菓子はどれなの?」 「こちらです」 「あら、可愛い」 クノンが皿に取り分けたのは、果物をふんだんに使ったタルトだった。 最近果物を好むアルディラの嗜好を考慮した一品である。 彼女がすこぶる興味を抱いた事が伝わってきた。 早速、アルディラはケーキをフォークで切り分けて、口に運ぶ。 そして、クノンに微笑んだ。 「おいしいわ」 アルディラの笑顔が、クノンの心に染みわたった。 ――嬉しい。 アルディラの喜ぶ顔を見ることが、この上なく。 「ありがとうございます」 クノンもまた微笑みを浮かべる。 控えめだが、見る者に幸せを感じさせる笑みだった。
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(2005.03.07up) |
08 本 (サモナイ3・スカアティ) 「あら!じゃあセンセもあのシリーズの愛読者なのね」 「ええ!まさかスカーレルもファンだとは思いませんでした」 クノンの読んでいた本のタイトルを知ったアティは、海賊船に戻るや否や、スカーレルの部屋を訪れたのである。 意外なところで共通点を見つけた二人は、早速その話題で盛り上がった。 帝都で人気の小説とはいえ、元来「本」は高価な品物である。地方への流通もなかなか難しい。 ましてやこういう島に流行本が入って来ることはまずないだろう。 スカーレルがクノンへあの小説を薦めたのも、一緒に話せる同士がほしかったせいかもしれない。 「やっぱり、あの主人公は最強よねぇ」 「普通じゃああはいきませんよ!中盤からハラハラしどおしで」 「あれは、話の流れが上手いのよ。最近は意外性を狙った物語が多いけど、却って面白味に欠けると思うのよね」 ヤード愛用の紅茶を拝借しつつ、スカーレルはこんな感想を漏らす。 淹れる前は反対したアティだったが、結局はしっかりごちそうになっていた。後でお詫びをしなくては、と心に留め置きながら。 帝都を離れた海の孤島で少女恋愛小説の話題に興じる二人の姿は、思春期の女子学生に近いものがあるかもしれない。……片方の性別はともかくとして。 「ふふ、だけどセンセも夢見る女の子なのねぇ」 テーブルに頬杖をつくスカーレルは、ずいぶんと上機嫌である。 「何ですか、改まって」 「目が輝いてるもの」 「あ」 思わず赤面するアティに、スカーレルは笑みをこぼす。 「やぁね、別にいいのよ?むしろ嬉しいわ。身近で盛り上がれる相手がいないんだもの」 「でもソノラがいるでしょう?」 スカーレルは空いている左手を顔の前で振る。 「だーめだめ。あの子こういう本に全然興味ないのよ。借りに来るのは冒険譚とか実用書とか、そういうものばっかりね」 物足りなさげな彼に、アティはつい笑ってしまう。 出会った当初はその外見に面食らったものの、慣れてしまえば親しみやすいのだから不思議なものである。 実際、スカーレルは最初の警戒心を越えてしまえば、どんな環境にも馴染めそうな雰囲気がある。 その辺りに、カイル一家のご意見番たる所以があるのかもしれない。 アティは本棚に目をやった。 室内で一番大きな壁面に設置してある大きな書棚には、多くの本が並んでいた。 背表紙をざっと流すだけでも、少女小説から専門書まで、幅広い品揃えである事が見て取れる。 版別に整理された書棚には統一感があり、部屋の主の几帳面さが伺えた。 「スカーレルはどんな本が好きなんです?」 実際、海賊船とは思えない程の量である。 本棚を見やりつつ、アティが問う。 「そうねぇ、特にコレって言うのはないかしら」 彼女の視線を追いつつスカーレルは続ける。 「恋愛小説も冒険譚も面白いし、料理の本は参考になるでしょ?流行だって気になるし……広く浅くってトコかしらね」 スカーレルはふと悪戯っぽい表情を浮かべた。 本棚に歩み寄り、一冊の本を手に取って振り向く。 「そぉだ。センセ『亜麻色の風が我が身を焦がす』って本、知ってる?」 「知ってるも何も、あの作家の初期短編集じゃないですか!限定本で即完売したっていう」 「これ、なーんだ?」 「えええええ!?」 スカーレルがアティの目の前に出して見せたのは、即完売したという噂の本だった。 「やっぱりセンセは未読だった?」 「だってあれ帝都限定発売だったんですよ!寮でも購入できた人はほとんどいなくて……」 「蛇の道は蛇ってね。読んでみる?」 「はい!」 喜色満面で即答したアティに本を手渡し、スカーレルは椅子に腰掛ける。 受け取った本の表紙を見つめるアティの耳に、忍びやかな笑いが届く。 「いいのよ、今読んでも」 「え、でも……」 「とりあえず一編だけ読んでご覧なさいな。センセの感想、聞かせてほしいわ」 「ありがとうございます。じゃあ、遠慮無く」 期待に胸を躍らせながら、アティは本の表紙をめくった。 目を輝かせて読書をする彼女を、スカーレルは優しい表情で見守っている。 明かり取りの窓から穏やかな陽射しが差し込む中。 スカーレルの部屋では、のどかな時間がゆっくりと過ぎていった。
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(2005.02.24up) |
09 家族 (アーク2・アーク&ポルタ) ククルの神殿の一室で、アークの母・ポルタが眠りについていた。 様子を見に来たアークは、音を立てぬよう注意を払って部屋に入ると、ベッドの傍らに跪き、眠る母の顔を見つめた。 疲労の色が濃いのは当然だとしても、想像以上に窶れたその姿に、アークは唇をかみしめる。 否。それよりも、今彼女を失意の底に沈めているのは、助け出されたその時に、最愛の夫を目の前で失った事実だろう。 物心ついた頃から父を知らず、その存在をかすかな記憶に留めていたアークにとって、母親である彼女は唯一無二の存在だった。 女手一つで子供を育てることには、並々ならぬ労苦があったろう。 それも、いつか夫に再会できると信じるが故だったのではないだろうか。 幼い頃から日々働きづめだった姿を思い返しつつ、アークは母の手を取る。 水仕事で荒れた指先は、幼い頃から彼が知っているそれである。しかし、力無く痩せた手のひらから、囚われていた間の苦痛が如実に伝わり、アークは顔を伏せた。 母の手を握った両手を額に当て、低く呟く。 「母さんは、本当に幸せだったのか……?」 「……ええ、幸せよ」 予想しなかったいらえに、アークは反射的に顔をあげた。 視線の先で、ポルタは弱々しくも微笑んでいる。 「母さん……」 「どうして、私が幸せでないなんて思ったの?」 穏やかな笑みはあまりに儚く、だからこそ見ているのがつらかった。 「だって、父さんと一緒にならなければ、こんな苦労をすることはなかったのに」 父の帰りを問う息子へ、少し寂しげな表情を返す在りし日の母の姿。 一時は父親を恨みもした。 けれど、ひたむきに父を信じる母を見て育つうちに、その感情は少しずつ変わっていった。 世界の異変、精霊の意志。 大きな流れを知り、己の為すべき道を見つけたのは、父の導きあればこそだ。 だが、だからといって、一人の女性を不幸にすることなど、許されるべきではない。 「……あの人がいない寂しさはあったわ。でも、あなたがいてくれたもの」 控えめな笑みは昔と変わらない。 母は嘘がつけない人間だった。 偽った言動の裏に事実が潜んでいる時は、言葉に出来ない仕種や雰囲気で、伝わってきたものだ。 だからこそ、今の言葉が本音だと理解できる。 「母さん」 「ねぇ、アーク」 息子の言葉を優しく遮り、ポルタは静かに言葉を継ぐ。 「私はあの人の口から、起こりうるであろう未来を聞かされたわ。その上で、一緒になったのよ。あの人が、誰よりも大切だったから。……何より愛おしかったから」 「…………」 「あの人を、信じて待ちたいと思ったの。それは私が自分で決めた事よ」 ポルタは優しい笑みを浮かべる。 窶れた頬に浮かんだ笑みは、けれども本当に綺麗だった。 ポルタは握られていた手をそっと振りほどき、息子の頬に触れた。 かさついた、けれども暖かい手のひらで。 「あなたはヨシュアと私の誇りだわ」 「母さん……」 ポルタが息子へ向ける深い愛情と、夫を慕う一途な心。 ――その想いを、確かめたかったのだ。 自身の頬に触れる手をそっと握りしめ、アークは潤んだ瞳に笑みを浮かべた。
──fin
(2005.02.23up) |
10 恋人 (サモナイ3・ファリエル&アリーゼ) 「異境の水場」。その名の通り、狭間の領域に満ちるサプレスの神秘的な輝きを映し出す水辺を指す。 この地において住人が集うのは夜、月明かりが大地を照らす頃合いだ。 故に、太陽の光が差し込む今の時間は、生物の気配はあまり感じられないのが常である。 だが。 「あら?」 水辺に小さな人影を見つけ、ファリエルは小さな声を上げた。 「アリーゼ。どうしたの?」 「あ、ファリエルさん」 近づく鎧姿の彼女を認め、少女がその名を呼ぶ。 以前はファルゼンと名乗っていたが、今は護人たちも皆、彼女の正体を知っている。 ただ、日中の消耗は変わらないので、正体を明かした今も普段は鎧姿なのだ。 「ええと、その、ちょっと一人になりたくて」 曖昧な笑顔で応える少女の様子が気になった。 狭間の領域は他の集落よりもマナの力が強い。 せっかく知り合いに会えたのだからと、ファリエルは本来の姿に戻ってアリーゼに歩み寄った。 「お邪魔だった?」 「いえ!……あの、良かったらここにいてもらえませんか?」 遠慮がちに言う少女へ安心させるように頷くと、ファリエルは彼女の隣に座った。 「どうしたの?」 少し時間をおいてから問いかけてみると、アリーゼは膝を抱え込むように両手で引き寄せ、小さな声で呟いた。 「アルディラさんが羨ましくて」 「え?」 意外な言葉だった。 しかし、ひどく寂しげな少女の様子に、ファリエルはひとつの考えに思い至る。 ――過去に自身が経験した出来事だ。 「レックスの事でしょう」 アリーゼが勢いよく顔を上げて、ファリエルを見る。 しかし、すぐに瞳は伏せられ、少女は再び膝を抱え込んだ。 「……先生はとても嬉しそうですし、アルディラさんも幸せそうだから……いいなって思うんです。だけど、ちょっと寂しくて」 授業だってちゃんと続けてもらってるし、釣りの時は誘ってくれるし、海賊船にいる時は、大抵一緒にいてくれるけれど。 とつとつと語るアリーゼを見るファリエルの視線が、我知らず優しい色を帯びる。 「あ、でもアルディラさんが嫌いな訳じゃないんですよ!」 不意に、アリーゼはファリエルに顔を向けた。いつの間にか丸まっていた背中を伸ばし、力一杯主張する。 そんな少女に、ファリエルは優しく微笑んだ。 「うん、わかってる。私も同じだったから」 「え?」 目を丸くするアリーゼへ、ファリエルは静かに続ける。 「昔の事は前に話したでしょ?私もね、兄さんとアルディラの事を知ったとき、寂しかったもの。元々兄さんの側にいたくて、護衛役として一緒にこの島に来たから……。兄さんは変わらないってわかってたけど、遠い人になった気がしちゃったな」 「そう、ですか……」 優しかった兄は、護衛役として同行した妹の身を常に案じていた。 事が起これば、誰よりも先に立とうとするのがハイネルという人間だ。 日常での些細な事なら構わない。だが、戦いとなれば話は別である。 兄は類い希な召喚師だったが、召喚術に長けていても、武器を取っての戦いが得意だとは限らない。 だからこそ、いざ争いごとが起こった時、真っ先に飛び出すのはファリエルだった。 それが、ハイネルにとって心配事の種でもあったのだろう。 「二人きりの兄妹だったし、私は昔からお転婆だったから、いっつも心配かけてばっかり」 「ファリエルさんが、お転婆ですか?」 「ええ」 思い出し笑いをしたファリエルを見つめるアリーゼの瞳は、意外な驚きに満ちていた。 「だから、いつも私を見てくれてた兄さんに、一番大切な人ができたって気づいたときは、やっぱりショックだったな」 「…………」 ――誰もが仲良く暮らせる場所を作りたい。 大好きな兄の望んだ夢は、あまりに現実離れしていたけれど、一緒に信じたいという魅力があった。 そう、惹かれたからこそ、島で召喚された彼らも協力してくれたのだ。 兄の親友だったリクトが、彼を主と仰いでいたキュウマが。 護衛獣として召喚されたヤッファも、馬鹿馬鹿しいと言いながら協力を惜しまなかった。 そして、マスターである兄を心から慕っていたアルディラも、また。 そんな彼女とハイネルがいつしか恋仲になったのも、今思えば自然な出来事だった。 「でもね、私もアルディラの事が好きだったから、やっぱり良かったって思えたの。だって、二人とも本当に幸せそうだったから。……言葉にするには、勇気が必要だったけど」 アリーゼは湖に瞳を向けた。 穏やかな水面を見つめる少女の胸の内を去来する想いは、おそらく、過去に自分が抱いた感情とどこか似ているのだろう。 ファリエルも澄んだ湖を見やりながら、懐かしい思い出をゆっくりと回想してみた。 懐かしくて暖かな、優しい記憶。 ハイネルが生きていた頃は、アルディラよりも兄のことが気になって仕方なかった。 ちょうど、今のアリーゼのように。……けれど。 ――兄の死を境に、めっきり表情を失ってしまった、アルディラ。 一方のファリエルは、本来の姿を偽る事でしか島の住人に受け入れられないと思っていたが故に、すぐ近くにいた筈の彼女にすら真実を語ることが出来なかった。 護人という役割を負うことで日々を過ごしていたアルディラが、豊かな感情を垣間見せるようになったのは、島を訪れたレックスの存在あればこそだった。 幸せに、なってほしい。 今を生きる大切な人に。 ファリエルは顔を上げた。そして、アリーゼに明るい調子で話しかける。 「さて。せっかく来てくれたんだもの、お茶をご馳走させてくれない?」 「え?……あ、でも」 物思いに沈んでいたアリーゼは、やや遅れて、ファリエルの言葉を理解する。 「もっとも、用意してくれるのはフレイズだけど」 悪戯っぽく付け加えた言葉に、アリーゼが笑顔を見せた。 「はい。ありがとうございます」 「良かった。フレイズもね、自作のケーキを披露する相手ができて喜んでるの」 「そうなんですか?実は私、今度是非作り方を教えて欲しいなって思ってたんです」 「ふふ。彼が聞いたら喜ぶわ」 少しだけ、元気を出した少女の様子に安心する。 ――大丈夫。 時間が必要かもしれないが、この子なら、レックスとアルディラの二人を心から祝福してくれるだろう。 ファリエルは改めて、大切な人たちの幸せを心から祈った。
──fin
(2005.03.09up) |