06 海に流した思い出 (ロマサガMS・グレミリ) リガウ島は不思議な場所だ、とミリアムは思う。 現在は自治区として成り立っているが、以前はメルビル領だったと聞く。 しかし、現在その名残はほとんど見られない。むしろリガウ島が古来より培ってきたという風土や文化が根強く残っているのだ。 他の土地では見かけない片刃の細身の剣――カタナを知ったのもここだった。 術士であるミリアムには縁のないものだが、相棒のグレイが愛用している武器である。そのため、自ずと知識を深める事になった。 風雅や侘び寂びといったリガウ独特文化に触れる機会もあったが、こちらは生憎と難解であったためミリアムに理解する事は困難だった。しかし、そういうものに興味を覚えたのは事実である。 理由は、無論……。 「グレイ、あれ、何?」 夜の海に広がる多くの光に驚きつつ、ミリアムは傍らの青年に尋ねた。 今宵彼女を外に誘ったのはグレイである。珍しいものが見られるという言葉を添えてだった。当然、これが何であるかは知っているだろう。 「灯籠流しだ」 耳慣れぬ単語にミリアムは小首を傾げる。 「灯籠流し?」 問答をしているうちに二人は今も光を生み出しつつある海辺へとたどり着いた。 予想だにしなかった人の多さに、ミリアムは目を丸くする。 遠目にもそこそこ人が集まっていることは見て取れたが、これほどの数とは思わなかったのだ。ひょっとすると、島の住人の大半が集っているのではないだろうか。 人が集えば場は賑わう。喧噪はやがて何らかの騒ぎを引き起こすものだが、不思議とそういった様子は感じられなかった。むしろどこか静かな雰囲気が漂っている。 ……まるで、夜の海に広がる数々の光に、心を奪われているかのように。 波打ち際に佇む人々の中に、光──灯火を手にしている者が、幾人か存在した。 各々、灯火を海に送り出そうとしている。 遠目には小さな光にしか見えなかったが、今まさに海へ流されようとしている灯火の正体に気づき、ミリアムは小さく声を上げた。 「小舟なんだ、あれ……」 灯火の源は小さな舟だった。 舟の中心に蝋燭が立てられており、それを囲うように組まれた木枠の側面四面には紙が貼られている。おそらく風除けのための細工だろうが、紙を通して蝋燭の明かりに照らし出される小舟の姿は、間近から見てもどこか幻想的に映った。 海辺から流された小舟が、ゆっくりと夜の海に揺られていく。 彼方で揺れる光も多々あった。随分前に流されたものだろう。 「灯籠流しは別名を送り火とも言う。現世に戻った祖先の霊を再び彼岸――あの世に送り出す儀式だ」 灯火の正体を知ったミリアムへ、グレイは改めて説明を加えた。 「霊を……送り出すって、どういうこと?」 人は死ねばそれで終わりである。最後を迎えた地、あるいは祀られた墓所で国の行く末を見守る聖人の話や、この世に縛られた霊や魂が地上を彷徨うという話なども聞くが、概ねは死者の国へと旅立つとされる。 死者が地上の縁者を見守るとしても、それはあくまで遠い世界の向こうからなのである。 しかし、霊魂が死者の国から戻ってくるという話は初耳だった。 「リガウではこの時期に先祖の霊が此岸――現世に戻り、再びあの世へ行くという言い伝えがある。また昨年から今年にかけて亡くなった者を送り出す意味も持っているな。……つまりは死者を悼み先祖への感謝の意を表す儀式、と言えるか」 「ふーん……」 「現世に戻る霊を迎える時もやはり火を使うが、こちらは迎え火と言う」 「たくさんの魂が還っていくんだね。……不思議だな。あれが全部、もういない人たちだなんて」 人は死ねば終わりだ。これまでそう思っていただけに、連綿と続く人の営みに根差す信仰が、ミリアムの目には新鮮に映る。 そして、彼女にしては珍しく、この風習がすんなり理解できた。 知識としての学ぶ歴史よりも、身近であるが故に実感を伴ったせいかもしれない。 しかし、流される光が少しずつ遠ざかって行く様は、どこかもの悲しさを感じてしまう。 「あの灯火は死者への手向けだが、同時に手向ける者がいるという証でもあるな」 ミリアムの抱いた寂しさを察したかのように、グレイが言った。 特に彼女に視線を向けたわけではないけれども。 ミリアムはグレイを見上げ、再び海に目をやった。 暗い海に広がる数多くの光。 先程と同じ景色だったが、灯火の揺らめく色が、優しい暖かさを宿しているような気がした。 「あの明かりと同じ数だけ、見送る人がいるんだね」 蝋燭の点された舟が水面に揺れる。幾多の小舟とそれを浮かび上がらせる灯火。 喪った大切な人のため、また顔も知らぬ先祖のために。 捧げられる、幾多の祈り……。 「ひとつひとつが人の生きた証、なのかな」 「そうだな」 最後の灯火が消えるまで見送りたいと、そう思った。 自分はこの地で生活を送っているわけではないけれど、厳かで暖かさを感じるこの儀式は、心を揺さぶる。心が揺さぶられると思えてならなかったのだ。 ミリアムはしばらくの間、静かで荘厳な光景に見入っていた。 「また、見たいな」 どれほどの時間が経ったろうか。 呟くほどに微かな声で、かろうじてこれだけを口にしたミリアムへ、グレイが応じる。 「これから一緒に来ればいい。灯籠流しは毎年この時期に行われる」 ミリアムがグレイの顔を見上げた。 それまで彼女に向けられていたらしい灰色の瞳に迎えられ、幾度か瞬きを繰り返す。 やがて、ミリアムはにっこりと笑った。 「……そっか。うん。そうだね。来年も、再来年も一緒に見に来よう」 「ああ」 低い、けれども確かなグレイのいらえが耳に届き、ミリアムは幸せそうに微笑んだ。 そんな彼女を見返すグレイの口元にも、小さな笑みが浮かんでいたのである。
──fin
(2006.04.04up) |
07 口パク告白 (ロマサガMS・ジャンクロ&グレミリ&ジャミル) 夕日が地平の向こうへ沈んだ頃、町外れの木立で向かい合って佇む二つの影があった。 傍目にも緊張していることが見て取れる青年と、黙した中にも気品を感じさせる美しい娘。 夕闇の木々の中、その場にいるのは二人だけである。 月明かりに照らされた恋人達の姿は、遠目にも美しく……。 「理性が負けて手を出すに100金」 「せいぜい手を握る程度だな。150金」 「っていうか、何であたいたちがこんな所で出歯亀してんのさ?」 木立の二人を物陰から見つめられる絶景ポイントで、三つの影がひそやかに囁きあう。 「なかなか進展しない二人を焚き付け……もとい二人の恋愛の成就を願ってだな、こうして舞台を整えた訳だ。結果を見届けるのも重要だぜ?」 「で、あわよくば小銭を稼ごうってワケ?」 「それはそれ、これはこれ。このシチュエーションは美味すぎるって」 青年は緊張に肩を強張らせながら幾度か口を開いたものの、声を発するには至らなかった。 彼の前に立つ娘は、ただ静かに待っている。 不意に、青年は勢いをつけて頭を下げた。そのまま数歩、距離を置く。 娘は目を伏せた。その表情が寂しさに沈む。 しかし、彼女は小さく息をつくと、力無く項垂れた青年に何事かを話しかた。 顔を上げた彼へそっと微笑みかける。 そんな彼女の姿に、青年が口元を引き結ぶ。 一呼吸の後、彼はうやうやしく手を差し出した。 優しい笑みに励まされ、娘がそっと彼の手を取る。 頬を染める彼女を愛おしげに見つめ、青年は歩き出す。娘の歩調に合わせて、ゆっくりと。 やがて二人は木立の向こうへと姿を消した。 「勝負あったな」 二人が立ち去ったのを見届けた上で、グレイが結果を述べた。 「ぐ……」 「お前はジャンの性格をわかっていない。あの堅物実直生真面目男が、職務を放って恋愛に走るわけがないだろう」 悔しげに唸るジャミルの耳にグレイの淡々とした声が届く。 真実を突いているだけに、その言葉が腹立たしく感じられるのは仕方がない。 「まぁ、こっちだって似たり寄ったりだしなぁ」 ポケットから出した小銭を手のひらで転がしつつ、ジャミルが嘯く。 グレイはちらと彼に視線を走らせた。 「ミリアム」 「何、グレ」 返事をする間もあらばこそ。 グレイは名前を呼ばれて振り向く彼女の顎を捉え、口づけた。 ジャミルの手から小銭が転がり落ちる。 「い、いきなり何すんのさ!」 夜目にもわかるほど真っ赤になったミリアムが、解放された途端に抗議の声を上げた。 「嫌か?」 「……そうじゃないけど、だから、人目を考えなって!」 「ああ、そうだな」 珍しく殊勝に頷くグレイだが、ジャミルに向けた視線は笑みを含んでいる。 ミリアムの派手な声よりも、その視線で我に返ったジャミルは、鼻を鳴らして足元の草むらを見おろした。 落とした小銭は月明かりを反射している。 「ちぇ、久しぶりにエスタミルへ戻りてぇなぁ」 ジャミルは身をかがめて小銭を拾いあげると、背中越しに放り投げた。 と。 「ずいぶん楽しそうね、みんな?」 涼やかな声に、一同が凍りついた。 恐る恐る振り向く三人の目に、何も知らなければ思わず見惚れてしまうであろう美しい微笑みが映る。 傍らで恥ずかしさのあまり硬直しているジャンもいたが、誰の視界にも入っていなかった。否、認識する余裕がなかったと言うべきか。 「ご、ごめんよ、クローディア。あ、あのさ……」 震え声ながらも何とか取り繕うとしたミリアムに、冷静な声が飛ぶ。 「無駄だ、ミリアム」 「誰のせいだよ!」 いきりたつミリアムへ応える代わりに、グレイは彼女の背に右手を添えると、左手で両膝を持ち上げた。 「ちょっ……!」 「この方が早い。逃げるぞ」 直後、グレイはミリアムを抱き上げたまま駆け出した。 「わわわ悪いーっ!」 一足先に逃げ出したジャミルは、遠くから詫びていたが、その声はむしろ悲鳴に近い。 クローディアはおもむろに握りしめていた弓を構えた。 背負った矢筒から磨き込まれた矢をつがえる。 「ミリオンダラー」 逃げる三人組に向けられた必殺の矢が、夜を切り裂いた。
──fin
(2005.12.15up) |
08 体育館裏の待ち人 (サモナイ3・アリーゼ&レックス) 卒業式を無事済ませ、級友と別れの挨拶を交わした後、アリーゼは単身校舎を離れ、校庭内を駆け抜けた。 目指すは体育館。屋内用の実技施設である。 ――卒業式が終わったら、そこで待ってるから。 今朝になって突然姿を見せた彼女の『先生』は、簡単な約束だけを交わして、すぐにいなくなってしまった。 最も今日は学校の一大行事でもある卒業式当日、生徒の身内でも式典が終了するまでは校舎への立ち入りは御法度なのだ。彼の行動は当然といえば当然だった。 だが、会えると思っていなかった相手の訪問に、アリーゼはすっかり舞い上がってしまったのである。 式典の最中、失態を演じなかった自分を誉めたい気分だった。 目的の建物に到着すると、アリーゼは裏手へ回り込んだ。 人気のない場所へ佇む、一人の青年の姿。 「先生!」 アリーゼの声に彼が振り向いた。途端に破顔する。 「やぁ、アリーゼ。卒業おめでとう」 「ありがとうございます。……って、先生!来て下さるなら、どうして事前に連絡してくれなかったんですか!」 会えた喜びや懐かしさより、文句が先に出てしまったのは仕方ないだろう。 事前に約束していたなら、色々と準備もできたのだ。 何より先生に見守られて迎える式に臨む心構えだってできたのに。 「ごめんごめん。式に間に合うか微妙だったからさ、ぬか喜びさせるのも悪いかなと思って」 苦笑を浮かべて詫びるレックスの姿に、アリーゼは得も言われぬ懐かしさがこみ上げてくるのを抑えられなかった。 全然、変わっていないのだ。 幼い頃から人見知りの激しかったアリーゼにとって、素直に文句を言える気安い間柄の人間は、そう多くない。 嬉しくて、でも少しだけ寂しくて……。 レックスは改めてアリーゼに微笑んだ。 「すっかり見違えたね。女の子って変わっちゃうんだなぁ」 アリーゼはくすりと笑う。 「学校に入ってから何年経ったと思ってるんですか?」 「うん、そうだね。でも、ついこの間入学したばかりっていう感じが残っていてさ」 「子供はすぐに大きくなるんですよ」 すんなりとこんな言葉を口にした自分に驚いた。レックスも同じ気持ちだったのか、目を丸くしている。 多分、彼の中でのアリーゼは、未だ小さな女の子のままだったのだろう。 ――島にいた頃は、子供である自分が不甲斐なくて、歯がゆくて仕方なかった。 だが、どれほど一人前になりたいと望んでも、時間という壁は越えられないのだと気づいた時、今の自分に出来る精一杯の事をするしかない、と思ったのである。 その心構えは学校に入ってからも活かされた。 いや、むしろ島での経験が、学校生活をより充実したものに変えてくれたのだ。 レックスが眩しそうに教え子である少女を見つめる。 「本当に……見違えたよ、アリーゼ」 「ありがとうございます」 彼の言葉が嬉しい。常に自分に進む道を示してくれた恩師が認めてくれたという事実が、アリーゼには何より誇らしかった。 ここで、ふと、レックスが問いかける。 「だけど、本当にいいのかい?」 「何がですか?」 「これから島へ来る事だよ」 既にアリーゼは文書で卒業後は島で教職に就きたい旨を打診しており、これについては了承の返答を受け取っていた。 だが、一方でレックスの危惧も頷ける事だった。 名門マルティーニ家の一人娘が、人知れぬ島へ行きたいなどと言い出したとしても、周囲から見れば酔狂な戯れ言と受け取られかねない話なのだ。 だからこそ、アリーゼは休暇の度に父親に将来の夢を語り、その実現に向けて幾度も説得を試みたのである。 無論、最初は相手にされなかった。当然といえば当然だろう。 しかし、アリーゼのひたむきな姿勢によって、少しずつ話を聞いて貰えるようになり、遂には父親を説き伏せることに成功したのである。 「もちろんです。私、学校で勉強しながら将来のことを色々考えました。その時、いつも頭に浮かぶのは島のことだったんですよ。私も島で先生になりたいって思ったんです」 「そっか……」 感慨深い様子で微笑むレックスの表情は温かい。 不意に、アリーゼは背筋を伸ばして彼に向き直った。 驚くレックスへ、深々と頭を下げる。 「これからよろしくお願いします、レックス先生」 レックスは驚いた様子だったが、すぐに表情を引き締めると、こちらも一礼して応えた。 「こちらこそよろしく、アリーゼ」 「まだまだ色々教えて下さいね、先生」 「ああ。一緒に学んで行こう。僕も毎日が勉強だからね」 「はい!」 これから始まる新しい生活を思いつつ、アリーゼは元気良く返事をした。
──fin
(2005.12.08up) |
09 無名星座の光 (ロマサガMS・グレミリ+ガラハド) 夜空に煌めく無数の星々を見上げ、ミリアムはこっそりと感嘆の声を上げた。 既に深い眠りに落ちている仲間を気遣っているのだろう、あくまでひっそりとした声だ。 「綺麗な星空だねー」 しかし、星空を見上げるグレイの頭にまず浮かぶのは……。 「ふむ、方角は間違っていないようだな」 「……あのさ、グレイ。もうちょっと情緒的にものを見てもいいんじゃない?」 「方角確認は必要最低限の知識だろう。これを怠ればただでは済まんぞ」 興醒めた顔で文句を付けるミリアムへ、武器の手入れを始めたグレイが淡々と言葉を返す。 不意に、ミリアムはくすくすと笑い出した。 「何だ?」 いつもなら更に文句を言いつのるであろう相手の意外な様子に、ふと、グレイは問いかける。 「昔の事を思い出したよ」 「昔?」 「一緒に旅を始めたばっかりの頃。同じような話をして、口喧嘩になったじゃん」 「ああ、そんな事もあったな」 グレイは旅を始めて間もない頃にガラハドと知り合い、以来二人で世界を回っていたのだが、そこへ突然現れたのがミリアムだった。 北エスタミルで偶然彼女の術を見る機会があり、その折に仲間になりたいと宣言されたのである。 ガラハドは躊躇したが、グレイは即座に了承した。 術士の存在は大きな戦力になる。彼女の腕が立つ事は既にわかっていたのだから、ある意味渡りに船だった。 しかし、問題は別の所に潜んでいたのである。 初めての野営で星空を見上げていたミリアムが、グレイの言葉に食ってかかったのだ。 正直面食らった。自身の発言に間違いはない。ミリアムの言うところの『情緒的』な物言いの必要性が感じられなかった。 結局、言い合いが口喧嘩に発展し、ガラハドが仲裁に入るまで、二人の意見は平行線のままだったのである。 「あの時、グレイってつまんない男だと思ったんだよね、実は」 「ほう?」 「でもさ、あたいの実力を初めて認めてくれたのもグレイだったから、こんなことで別れちゃうなんて勿体ないってのはわかってたんだ」 何とか場を取り持ったガラハドは、ふてくされて眠ってしまったミリアムにやや呆れ顔だった。しかし、逆に安心していた節もあったのだ。 短気な娘だ、今後喧嘩を二つ三つ起こせばすぐに離れて行くだろう、と。 ガラハドは女性が危険な旅に同行することにあまり気が乗らなかったらしい。当時は彼もまた旅を始めたばかりで、女性に対して保守的な考え方を持っていたのだ。 しかし、最初の口喧嘩によってミリアムの負けん気の強さを感じたグレイは、むしろ彼女とは長い付き合いになるかもしれないと思ったのである。 蓋を開けてみると、グレイの予想が当たっていたわけだが。 「それに、しばらく一緒にいたら、気づいたからさ」 「何をだ?」 焚き火を見つめていたミリアムが声に応じるように振り向くと、にっこりと笑った。 「グレイが本当は色々喋ってるんだって事」 武器の手入れをしていたグレイの手が止まった。 そうして、ミリアムの顔を見やる。 ――最初は眉間に皺を寄せてばかりだった。 元々言葉がきついので、喋る時は容赦がない。 共に旅をしてから初めて笑顔を見せたのが、星空を見上げたあの時だった。 ……次は、いつだったろうか。 気がつくと、ミリアムはいつも笑顔を見せるようになっていた。 そうして、いつしかグレイは彼女を良く笑う娘だと思っていたのである。 最初の頃の顰めっ面など、忘れてしまう程に。 ミリアムの笑顔につられたかのように、グレイはわずかに口元を緩めた。 微笑とも苦笑ともつかないものになってしまったのは、仕方がないだろう。 「綺麗な星空だよねー」 再び空を仰ぎ見たミリアムの視線を追いかけ、グレイも星空を見上げた。 「……そうだな」 小声ではあったものの、相手の耳にはしっかり届いていたらしい。 ミリアムは嬉しそうな顔でグレイを振り返った。
──fin
(2006.01.12up) |
10 叶わぬ恋の切ない好意 (ロマサガMS・アイシャ&詩人) 夜明けを控え、闇が薄らぎはじめる頃。 酒場の常連客も家路を辿り、早朝から仕事を持つ者が動き始めるまでの時間は、町全体が寝静まっているようだ。 宿に泊まる客もまた深い眠りについている筈だが、おもむろに扉を開き、こっそりと抜け出す影があった。赤い髪の小柄な人影――アイシャである。 アイシャは、まだ薄闇に覆われた町の中をそっと歩き出した。 向かう先はアムト神殿。 高台にあるこの神殿は、北エスタミルの中で一二を争う見晴らしの良い場所なのだ。 色々考え事をするうちに目が冴えてしまったため、思い切って起き出したアイシャは、夜の明ける景色を眺めようと考えたのである。 人気のない薄暗い道を歩く少女へ、背後から声が掛けられた。 「こんな時間にどうしましたか?」 「きゃあっ!!」 突然の出来事に、アイシャは飛び上がって振り向く。 だが、背後に佇んでいた人物の姿を認め、肩の力を抜いた。 「詩人さん……」 アイシャの声に目を丸くした詩人は、苦笑を漏らした。 「これは失礼、驚かせてしまったみたいですね」 「び、びっくりした……誰もいないと思ってたから」 「つい先程仕事を終えた所ですよ。見慣れた人影が通りがかったので声を掛けたのですが。しかし、こんな時間に若い女性が一人歩きとは感心しませんね。どうしたんです?」 詩人が姿を見せるパブがアムト神殿のすぐ近くにあった事を思い出し、アイシャは納得したのだが、相手は違っていたらしい。 やや非難の交じった声音に、アイシャは悪戯を見咎められた子供のような気分を味わった。 返答もどこか言い訳めいたものになる。 「久しぶりの宿だったせいか、かえって寝られなかったの。眠ろうとしたんだけど、目が冴えちゃったし、せっかくだから朝焼けを見ようかと思って……」 詩人はアイシャをじっと見つめていたが、彼女の言葉が途切れると、一つ提案を持ちかけた。 「よろしければご一緒させて下さい」 詩人の意外な発言に、再びアイシャは驚いた。宿に戻るよう説得されるとばかり思っていたのだ。 「でも、詩人さんはお仕事終わったばかりなんでしょ?」 「夜が明けるまでさほど時間はかかりませんよ。それに……」 詩人の瞳が優しい光を帯びる。 「今の貴女を一人にしたくありませんからね」 アイシャは一瞬、泣き出しそうな表情を浮かべると、慌てて下を向いた。 ――この吟遊詩人は、他人の心の機微に聡いのだ。 短い間ではあるが、共に旅をしていた時、彼はアイシャが落ち込むと音楽を奏でたり、巧みな話術で気持ちを引き立ててくれたのである。 他の仲間のリクエストにも応えていたし、有益な情報をもたらした事もあったのだから、アイシャだけを特別扱いしたというわけではないだろうけれども。 俯いたまま、アイシャは彼へ話しかける。 「……あのね、お願いがあるんだけど」 「何でしょう?」 「タラールの族長とローザリアの王様の恋の話を知ってたら、聴かせてほしいの」 呟くほどの小さな声だったが、彼が聞き漏らすはずがない。 詩人はそっと微笑んだ。 「お安い御用です」 偶然に出会い、惹かれあった二つの魂。 しかし、その魂の宿る身体は、それぞれに生涯を掛けて守るべきものがあった。 決して重なることのない二つの道。 けれども想いは自由に天翔け、語り継がれる……。 朝焼けを迎えるアムト神殿の丘で、詩人は恋物語を歌い上げた。 傍らには、膝を抱えて彼の楽に聴き入る少女の姿。 詩人が最後の弦を爪弾き、静寂が訪れた。 過去の世界から、ゆっくりと現実の世界に還ったアイシャは、地平線の彼方に見える太陽へと目を向けた。 「タラール族が人間じゃないから、昔の族長と国王の恋も実らなかったんだよね」 朝焼けが広がる空を見つめながら、少女が呟く。 詩人もまた少しずつ失われる夜空を見上げた。 「どうでしょう。むしろ双方が長という立場にあったがためではないかと思いますがね」 次の言葉が少女の口をついたのは、聞き手が彼であるが故。 「だったらやっぱり無理だな。だってアルは殿下の傍でローザリアを守っていくはずだもん」 寂しさの中に諦めを滲ませ、アイシャは空を仰ぎ見た。 消えゆく星空は夜の名残。それがひどく儚く感じられる。 「ローザリアを守るというならば、ナイトハルト殿下の傍でなくとも為し得ることではありませんか?」 予想外の言葉に、アイシャは詩人を振り向いた。 普段と変わらぬ穏やかな表情で、彼は少女を見つめている。 アイシャは小さく微笑んだ。 「……ううん、やっぱり駄目だよ、きっと。いいの。私、今ならわかる気がするんだ。同じ名前の族長の気持ちが」 「…………」 「私はタラール族の村を離れられないし、アルだって故郷のローザリアで生きていく人だから」 一陣の風が吹いた。 風に煽られ肩口に落ちてきた髪を、アイシャは軽く払った。髪飾りが軽い音を立てる。 「さて。アルベルトさんはどう思っているでしょうね?」 何気ない口調で、さらりと詩人が問いかけた。 少女の手が固まる。 短い静寂を破ったのは、彼女だった。 アイシャはその場で勢い良く振り返り、詩人に笑顔を見せる。 「お話、聴かせてくれてありがとう。そろそろ戻るね」 「……お気をつけて」 「ありがと、詩人さん。またね!」 大きく手を振ったアイシャは、詩人に背を向けると、足早に駆けていった。
──fin
(2006.01.24up) |