あれ以来、エルクは落ち着きを取り戻していた。が、その性格は落ち着きとは縁がなかったらしく、体力が回復すると、アパート内を所狭しと動き回っていた。 口が悪く、手も早い。けれども天性の明るさと物事にこだわらないその性格は、鉄面皮として知られるシュウから様々な感情を引き出した。 近所の子供とケンカをする、嫌いな大人にイタズラをする、片付けるつもりが火薬をばらまいて、危うく爆発を引き起こしそうになる、等々…まったく、飽きることがない。 シュウも最初のうちは溜息をついたものだったが、すぐに慣れてしまった。 そんなある日の朝、シュウのアパートに小さな訪問者がやって来た。 「何だ?」 当然ながら、扉を開けたのは家主だった。 シュウは感情が表に出ることは滅多にない。周囲に心を動かされることも少ない。故に他人から見ると無愛想ととられやすい。もっとも、あながち外れてもいないのだが。 7、8歳の小さな少年は、そんなシュウに一瞬怯んだ。だが、口を真一文字に結ぶと、意を決したように声を出す。 「あの、こ、ここに、エルクが住んでます…よね?」 「ああ、エルクの友達か?」 頷きはしたものの、やはりシュウの表情は変わらない。 それでも少年は少しだけ、ほっとした顔を見せた。 「あの、これ、エルクが貸してくれたんです。早く返さなくちゃと思って」 それまで後ろ手にしていた両手を差し出す。と、その手には、きちんとたたまれたエルクのターバンが乗せられていた。 確かに、エルクは昨日ターバンを友達に貸したと言っていた。 「昨日、ぼく階段でこけちゃったんです。石に頭をぶつけちゃって、たくさん血が出て。痛くて怖くて泣いてたら、エルクがターバン貸してくれて、血を止めてくれたんです」 何故か容易に想像がついた。 怪我をして泣いている眼前の少し臆病そうな少年と、彼の手当をしながら励ますエルク。この想像は大して外れていないだろう。そうも思う。 「一生けんめい洗ったら、ちゃんと汚れもとれました。ずっと干してたから、もう乾いてて、早く返さなきゃって思って」 ただの布やハンカチならば、今日の昼にでも返せばいい話である。こんな早朝では、エルクはまだ起きてもいない。 だが、彼はとにかく急いで返しに来た。 ──何も言ってはいないはずだ。 しかし、このターバンとイヤリングは、エルクがあの時から身につけていたものだった。失われた過去と今とを繋ぐ、唯一の手がかりである。 大切なものだということが、彼には伝わっていたのだろう。 だから、こんな時間に返しに来てくれたのだ。 ふ、とシュウが微笑んだ。 「ありがとう。エルクも喜ぶだろう。入るといい」 扉を開け、少年を中へと迎え入れる。 「え、と、あの、でも」 室内に招き入れられたものの、少年は戸惑っていた。何度か見かけたことのある冷徹無表情な男の笑顔に驚いていたのだ。 「ああ、すまない。自己紹介が遅れたな。俺はシュウ。ハンターだ。君は?」 「は、はい、フィルです」 少年が名乗ると、シュウはエルクを起こそうとベッドに歩み寄った。 ワンルームなので、室内の有様はよくわかる。 「ねみーっ」 ベッドから聞き慣れた寝ぼけた声が聞こえ、フィルは吹き出した。 「あと5分…いーだろもちょっ…え?わ、いってぇ!」 エルクがベッドから転げ落ちた。 呆れているらしいシュウの向こうから、ひょい、と見慣れた顔が覗く。 その表情が輝いた。睡魔もどこかへ飛んでいったらしい。エルクは扉の前に佇む少年のもとに駆け寄った。 「はよ、フィル!」 「おはよ、エルク。これ、ありがと」 「あ…そっか、わざわざ朝イチで届けてくれたんだ。サンキュ」 愛しげにターバンを受け取ると、エルクは笑みを浮かべた。フィルも嬉しそうな笑顔を見せる。 「フィル、朝は済んだか?良ければ食べていくといい」 もう笑顔を浮かべてはいなかったが、フィルにはシュウが最初の時ほど怖いという印象を受けなくなっていた。 「シュウの料理はうまいぜ」 とウインクしたエルクの頭をシュウが軽く小突く。 「さっさと着替えて顔を洗って来い」 「ちぇ、シュウって年寄りくせぇ」 今度は殴られたエルクを見、フィルがくすくす笑う。 「待ってるね、エルク」 屈託なく笑う少年の姿は、シュウにとっても新鮮だった。 |
エルクがシュウに拾われてから、3年の月日が流れた。 その間にエルクは幼い頃の記憶を取り戻し、炎を使う能力を発揮させ、『炎使い』の異名を取るほどのハンターとなっていた。 …ただ、取り戻した記憶の中には、西アルディアの砂漠に倒れていた以前のものはない。 生まれてから炎を操る「ピュルカ」一族の小さな村で暮らしていた事、その村が突然やってきた飛行船に襲われた事は思い出せたが、そこからシュウに拾われるまでの間は依然空白のままだった。 エルクがハンターの仕事を選んだ事には、恩人であるシュウへの憧れ以外にも理由がある。 正体不明の存在に対する情報収集に、この仕事は最適でもあったのだ。 失われた記憶に関しては、保留しておくしかない。手がかりと思われたターバンもイヤリングも、エルクがピュルカにいた頃から身につけていたものであり、依然戻らない記憶の何かを指し示すものにはなり得なかったのだ。 ピュルカの村を全滅させた飛行船の主を探し出す。 それもまた、エルクのこれからの目標のひとつとなっていた。 自活できるようになれば、いつまでもシュウの世話になるわけにもいかない。 自分の食いぶちが稼げるようになると、エルクはここインディゴスからも離れ、プロディアスにアパートを借りることになった。 引っ越しもあらかた片付き、あとは自分が移動するだけである。 目の前にはシュウがいた。 「シュウ、今までありがとう」 面と向かって礼を言うのは照れ臭いが、今は違う。これまでの感謝の気持ちを込め、エルクは頭を下げていた。 「シュウに助けてもらわなかったら、オレ、きっと砂漠でのたれ死んでたと思う。右も左もわからなかったオレを育ててくれて……本当にありがとう」 「…もう3年か。早いものだな。プロディアスでもしっかりやれよ」 月並みな言葉かもしれないが、エルクにとってかけがえのないものだ。 「ん。サンキュ。一度遊びに来てくれよな。それまでには何か作れるようになっとくから」 シュウが小さく笑う。 「そうだな、暇ができたら行こう」 「よし、待ってるからな!それじゃ」 エルクはきびすを返し、玄関の扉に手を掛けた。いつも通り、勢いよく扉を開ける。 そういえば、前に一度、勢いつけ過ぎて壊したことがあったっけ。 「エルク」 「え?」 回想していた事が事だけに、エルクは少しばかり焦って振り向いた。 シュウはエルクをじっと見つめている。 何故か、不思議な感じがした。シュウはすぐそこに立っている。立って自分を見ているのだが、その視線は自分を通り越して何かに注がれているような…そんな気がする。 シュウが静かに口を開いた。 「…確かに、俺は砂漠でおまえを助けたが、──救われたのは俺の方だ」 言葉の意味がよくわからなかった。 助けられた自分と、救われたシュウ…? 少しばかり首をかしげ、言葉の意味をはかりかねているエルクを見、シュウは苦笑した。 「いや、とにかくおまえが来てから色々と楽しかった」 「…なんか、シュウにそう言われると変な感じだよな」 悪戯をして怒られたり、説教された事ばかりを思い出してしまう。 だが槍術や剣術の基礎を教わった時の真剣なまなざし、仕事をこなした報告をした時に我が事のように喜んでくれた事…嬉しいけれど、少し照れくさい思い出などが一気によみがえる。 「まぁ、確かにいろんな事があったっけ…」 照れ隠しに言うと、エルクはようやく一歩を踏み出した。 「じゃな、シュウ」 「気をつけてな」 「わかってるって。サンキュ」 扉を閉じて歩き出す。 アパートを出てかなり歩いてから、エルクは背後を振り向いた。 建物の影になり、シュウのアパートは見えにくくなっている。だが少しだけ覗いた煤けた壁に、ふと過去への思いを馳せる。 立ち止まった時間はわずかなものだった。 エルクは再び前に視線を投じ、しっかりした足取りで歩き始めた。 『白い家』での少女ミリルとの再会。 救い出せると思っていた仲間たちとの戦い。 …そして、彼自身に襲いかかってきたミリル。 地下へ閉じ込められた二人を見たわけではなかったが、床下から漏れるわずかな声が、二人の様子をおぼろげに伝えてきた。 高い悲鳴に続く爆発音。 シャンテとリーザがエルクの名を呼ぶ。床を叩くが、地下への扉は固く閉ざされたままだった。 ──そこへ、アークが現れた。 ギルドから全国に指名手配されているはずの犯罪人は、エルクを救出し、脱出の手筈を整え、全員を逃がしたのだ。 だが、その時シュウの頭にあったのは、犯罪人アークのことではなかった。 エルクとミリルを捕らえた時、会心の笑みを浮かべ、成果を述べていたガルアーノ。 血の気が失せ、一見して死んでいるかと錯覚するほどの重傷を負ったエルク。 その口から漏れたのは、守り抜けなかった少女の名だった。 |
「…勝負あったな」 シュウの眼前で刃を止め、男は事実を口にした。 まったく攻撃できなかったわけではなかったが、力の差をまざまざと見せつけられた戦いだった。シュウの完敗である。 すっと刀を引くと、燃えるような赤い髪を持つ男――トッシュはシュウを見下ろし、その目を見据えた。 「決まりだ。とっとと街を出ていきな」 「断る」 「…なんだと?」 トッシュの瞳に剣呑な光が宿る。 それに対する瞳もまた、勝負に敗れながらも鋭い光を帯びたままだった。 …昔ならば。固執するものを持たぬよう、無意識に身近なものを持たなかった頃ならば、諦めていたはずだった。 ──己以外に執着するものを持ってはならぬ。それは己の弱みを作り出し、やがては身を滅ぼすことに繋がる。 何より疎ましく思っていた過去を引きずっていた自分に気づいたのは、エルクを拾ってからだった。 エルクに出会う以前の自分が今の自分を見たならば、物事にしがみつく見苦しい人間としか感じないかもしれない。…見苦しい、とは今も思う。 しかし、今ここで諦めるわけにはいかなかった。眼前の男はガルアーノに繋がる唯一の道なのだ。これを見失えば、最早決してガルアーノの元へたどり着く方法を見つけることはできないだろう。 「俺をこの街から放り出したければ、その手で殺してからにしろ!」 声を荒げたシュウに対し、トッシュはひとつ息をついた。 「…なぁ、シュウ。なんでおまえはガルアーノにこだわるんだ? おまえとガルアーノの間には何があった?」 シュウの脳裏に瀕死のエルクの姿が蘇る。 発せられた声は低く、押し殺しているはずの感情が垣間見えるようだった。 「ガルアーノにやられた仲間の仇がとりたい」 トッシュの眉が動く。 シュウは一度目を閉じた。これほど強固な意志が自分に存在することが、とても自然に思われる。再び開かれた瞳に、迷いがあろうはずがない。 「…それだけさ」 少し間を置き、赤い髪の剣客がひとつの情報を口にする。 「ガルアーノはロマリアの四将軍の一人だ。簡単に倒せる相手じゃねぇぞ」 「だからといって、逃げるわけにはいかん!」 トッシュは刀の峰で肩を叩いた。今にも肩をすくめそうな、どこかあきれた表情である。 「…ガンコな奴だな」 手にしていた刀を納め、自分を半ば睨みつけているシュウに向き直る。 そこでトッシュは相好を崩した。 「だが、オレは気に入ったぜ」 ふっ、と緊張が解けた。 驚くシュウにトッシュは手を差し伸べる。 「仲間に会わせてやる。立てるか?」 答える代わりに、シュウは呼吸を乱さず立ち上がった。 かなりの怪我を負っているはずなのに、それをまったく表面に出さない男に、トッシュはにやりと笑ってみせる。 「ま、ヤセ我慢もほどほどにな。さて、行くか」 飄々と歩き出す赤毛の男の背を目で追いながら、シュウはようやく全国に指名手配されているこの凶悪犯自身について、わずかに興味を覚えていた。 おそらく、レジスタンスへの糸口をつかむことが出来た安堵によるものだろう。 …エルク。必ず、戻ってこい…。 心の中で懐かしい顔にそう呼びかけ、シュウはトッシュの後に続いた。 憎しみという感情を、初めて知った。 機械的にこなすよう、要らぬ情を持たぬよう、任務を能率よく片づけること。 それが、シュウの全てだった。 選択の余地は与えられず、疑問を抱くこともできず、そうして生きてきたのだ。 インディゴスという街で、自由を手に入れたはずだった。 だが結局は、人と相容れることなく、仕事をこなして生活しているだけだった。 絶対の命令を受けていなかっただけだ。 そんな自分に魂を吹き込んだのが、エルクだった。
──FIN
<あとがき> 前回の話でアーク1の贔屓キャラシュウの出番がほとんどなかったので、今回メインに持ってきました(笑)。 でもシュウの内面を書くのは難しいです(汗)。彼の本心がなかなか読めないせいかもしれません。 この話を書くにあたって、とても貴重なアドバイスをして下さった東条志月さんにお礼申し上げます。ありがとうございました! |