若き忍者の弾獅子丸はある日、兄が瀕死の重傷を負っているのを見つける。 マントルの怪人にやられたのだ。 そしてマントルの野望を獅子丸に告げ、兄は息絶えてしまった。
たった一人の兄を殺し、また人々の幸せを奪おうとするマントルは許せない。 獅子丸は、父から学んだ秘術・弾丸(ロケット)変身を用いてライオン丸に変身し、マントルの野望を打ち砕く決意を固める。
かくして旅に出た獅子丸の前に、生き別れの父を探す志乃と三吉という姉弟が現れる。 時に道連れとなり時には別れ、彼らはそれぞれの目的のために旅を続けるのであった。
だが仮にも新作、前作とは様々な差別化が図られている。 まずはそのビジュアルな雰囲気。 ポンチョをまとった獅子丸、そして志乃と三吉の二人は幌馬車に乗って旅をしている。 で、志乃の服装は、上は普通だが下はレザーパンツにブーツ。 はっきり言って、ほとんど西部劇なのだ。 斬新と言えば斬新だが、時代劇としては絶えず違和感がつきまとう。
そしてライオン丸のデザインは、兜を身につけたより勇壮なものになった。 …と言いたいところなのだが、ライオン丸を印象付けていた雄々しいたてがみが兜で隠れてしまったため、雌ライオンのように見えると不評であった。 一時期は兜を脱いでいたのだが、それでも終盤はまた兜を付けてしまった。
更にストーリー展開。 全般的に地味で、なんだか盛り上がらない話が多い。 せっかくの時代劇なのにカタルシスが感じられないのだ。
またキャラクターの弱さ。 最初に獅子丸のライバルとして登場した黒影豹馬は小悪党といった雰囲気で風格がなく、イマイチだった。 それではとテコ入れで、前作の人気キャラであるタイガージョーが登場。 一応設定上はタイガージョージュニアなのだが、作中ではそうは名乗らない。 だが、せっかくの人気キャラの登場も、キャラクターがいまひとつ不鮮明なため魅力に乏しいものになってしまった。 なんだかマントルを倒そうとしているらしいがなんだか獅子丸とはポリシーが違うようだ、という程度の印象しか与えず、獅子丸との対比という意味では弱い存在だったのだ。
といった具合に、なんだか悪い要素が重なってしまい、前作ほどの人気を得ることもなくさびしく2クールで終了した。 前作がヒットすればヒットするほど、次の作品は難しいということを示す例である。 よほど特撮が好きな人なら見てもいいかもしれないが、はっきり言って子供が見てもあまり面白くない作品であろう。 終わり。
…と、こんな具合に終わってしまうのはもったいない。 そんな表面的な部分でこの作品の価値を決めつけては、その真の姿に触れることはできない。 実際にこの作品を見れば分かる。子供にウケが悪いのは当たり前。これはハードな大人のドラマなのだ。
先ほど、この作品がウケなかった理由として西部劇やら雌ライオンやらを挙げた。 が、そんなことは、内容が面白ければ逆に独特な魅力にもなる。 それよりも、なんだかカタルシスのないストーリー展開こそが子供たちに拒否された原因ではないかと思うのだ。 そしてその苦々しく重い展開にこそ、この作品の真価であるハードさが隠されている。
一番分かりやすい例として第8話を挙げてみる。 この話でマントルは新兵器ローク車(平たく言えばバイク)を駆使して村々を全滅させていく。 そして次にある村が襲われると分かり、村人達はこぞって逃げ出そうとする。 そこへ颯爽と現れた獅子丸。彼は村人達に、生まれ育った村を見捨てたりせず勇気を持って敵に立ち向かうことを説く。
さあそこで普通の特撮作品ならば、最初は嫌がっていた村人も説得で心動かされ、次第に勇気を持って立ち向かうようになっていく。 そして一致団結して最後には敵を撃退する。 そう、たとえ力無き者達でも、勇気を持って皆で力を合わせれば、強大な敵に勝つことも出来るのだ! おお、非常に子供向けによろしい美しい展開ではないか。
…が、この作品はそうではなかった。
獅子丸は、物陰に隠れて綱を引っ張りローク車を転倒させる手伝いをしてくれと村人に頼む。そのくらいならできるだろうと。 そして獅子丸は馬を駆り、危険ながらもローク車をおびき出す。 だが、罠のポイントを何度通過しても綱は引っ張られない。 それもそのはず。村人達はやっぱり恐くて皆逃げてしまったのだ。
それから獅子丸は、妻が身重なため逃げられなかった男を守って村に立てこもり、なんとか怪人を倒してマントルの襲撃を食い止める。 そして最後、全てが終わったことを知った村人達が今頃になってぞろぞろと帰って来る。 それどころか獅子丸に、しばらく滞在して村を守ってくれないかと好き勝手なことを言う。 だが獅子丸は何も言わず、馬を走らせて去っていくのだった…。
ちょっと待て。なんなんだこれは。これが子供向けヒーロー作品の展開かぁっ! 子供になんて説明すればいいんだ、これは!
しかし更に待て。冷静になって考えれば、村人の反応は実にもっともだ。 子供向けのお話だったらお手本になるように人々は勇気を持つのかもしれない。 が、現実には恐ろしいマントルを相手にひ弱な村人が一致団結なんてするのか? それでなくても時は戦国時代。自分一人が生き延びるのに精いっぱいだった時代なのだ。
これだけでこの作品のテイストが分かってもらえたと思う。 獅子丸はヒーローだ。他の特撮作品に出て来るような、強い力と正義の心を持ち理想に燃える若者だ。 だがその周りを取り巻くのは冷ややかな現実。世の中そんなに甘くない。
本作は基本的には、マントルの企てを獅子丸が打ち砕いていくというフォーマットの話であり、実際普通の攻防戦を描いている話も多い。 だがその合間合間に、獅子丸は現実の壁にぶち当たるという体験をしてしまうのだ。 ヒーローという特異な存在ゆえに自らの理想と他の人々の思想とのギャップに苦しみ、また孤独なヒーローゆえに己の力の限界を思い知る。 時には命がけで助けた子供を捨てていく羽目になり、時には助けた男に裏切られ、時にはエゴをむき出しにして自滅していく人々を全く救うことができず…。
無力だ、あまりにも無力だ。 獅子丸がヒーローとして弱いのではない。獅子丸は常に怪人に勝利している。 だが裏を返せば、たった一人のヒーローごときにできることとは、怪人を倒す程度のことでしかないのだ。 そんなことで人々が幸せになるとは限らない。そして案の定、獅子丸はいつも苦い結末を味わう。 しかしそれでも、獅子丸は自分が正しいと信じ突き進む。
そして最終回、ついにマントルを滅ぼし、獅子丸は志乃と三吉に見送られ、馬にまたがり去って行く。 おお、最後は普通のヒーローものではないか。 …なんだけど、なんかおかしい。
獅子丸は笑顔も見せず、いつもの厳しい表情で夕陽の色に染まった荒野を去って行く。 あれ? 普通は笑いながら日の光が注ぐ草原の中とかを駆け抜けて行かない?
しかしそれもそのはず。 マントルを滅ぼした後に残ったのは、マントルに焼き払われて瓦礫の山と化した町や村。人々の屍。 戦うしか能のない獅子丸には、それはどうすることもできないのだ。
一介の変身ヒーローの限界。ただの変身ヒーローに、平和を取り戻すなんてことはできはしないのだ。 他のヒーローものなら御都合主義的に強引にそういう結末に持っていくが、現実の壁が常にそびえ立つこの作品ではそうはいかない。 挫折、苦悩、この作品がヒーローにもたらすものはそういったものなのだ。
なんという作品だ。こんなもの、子供に見せてどうすんだよ。 だが、理想を追う上での壁の存在を知り、挫折を味わった大人ならば、共感できるところがあるのではないだろうか。 そう、大人にしか分からない、大人のドラマ。それがこの作品の正体なのだ。 いやはや、全くもって前代未聞の異色ヒーローものである。 こんな作品、他にはない!
…と思ったら、本作の興行的失敗に全然こりなかった(?)ピープロは、続く作品でヒーローに更に過酷な試練を与える。 その作品こそ「鉄人タイガーセブン」である。 ピープロ独自のカラーが全開になっているこの2作品、機会があったらぜひ見るべし。