日活無国籍映画、渡り鳥シリーズをモチーフにして、ひたすらかっこ良さを追求した本作品。 しかしこの作品は日活映画をはるかに超えてしまった。 一応原作は石森章太郎なのだが、この作品は宮内洋&長坂秀佳の世界と言える。 全32話中30話の脚本を担当し、黄金のパターンを確立した長坂秀佳。 その脚本に見事に応えた演技を見せた、天性のヒーロー、宮内洋。 この二人がいなければ、この作品はここまで語り継がれる名作には絶対になり得なかった。
ちなみに長坂秀佳以外の人が担当した脚本は、第7話が滝沢真理。第12話が田口成光。 これらの話は、黄金のパターンを基本的に踏襲しつつ敢えて変化をつけようとしているように見受けられる。 それはそれでひとつの試みではあるのだが、いかんせん残る話を全て長坂秀佳が書いているのでは、全32巻の本がズラリと並ぶ中で2冊だけ背表紙の色が違うものが混じっているという感じ。 単に違和感しか残さないものになってしまっている。しかも、残る30巻の色が強烈すぎる。この色はやはり長坂秀佳でなければ出せない色なのだ。
変身ヒーロー物でありながら、敵は生身の人間が率いる普通の犯罪組織。 対する早川健は、全てにおいて日本一の腕前を持つ男。 どうやったらこんな凄い設定が生まれるのやら。
「日本じゃあ2番目だ」のセリフと共に始まる早川健と敵用心棒との技比べ。想像を絶する技を繰り出す用心棒と、それを更に超えた技を披露する早川。
そして事件が佳境に入り、ピンチになる早川。消えたと思ったらはるか彼方から現れるズバット!
「ズバッと参上、ズバッと解決。人呼んでさすらいのヒーロー! 快傑ズバァット!!」
「あまつさえ…許さん!」や「飛鳥五郎という男を殺したのは貴様か!」の毎度おなじみのセリフが実に心地よい。
これだけ強烈な世界を作り上げたスタッフの手腕にはただ感服するばかりである。
ところで早川健を見て大笑いする人がいる。あまりにもキザな奴だというのだ。 が、この指摘はナンセンスである。これは、早川健は人間だ、と言っているのと大差ないからだ。 我々のような凡人がカッコつけるとキザになる。これは凡人の悲しい宿命だ。 しかし、存在自体がカッコいい人間を指してキザと言えるのか?
そう、存在自体がカッコいいので、凡人から見れば早川健は一挙一動が全てキザに見える。 そんなものはカッコ悪い我々凡人のひがみだとさっさと気付くといい。 そうして素直な気持ちでこの作品を見れば、早川健の動きのひとつひとつから全く目が離せなくなる。 彼が動く度に、彼がしゃべる度に、そのカッコ良さにしびれる自分に気付くだろう。
そしてあまりのカッコ良さに顔の筋肉が緩んでしまい、ギャハハハハと大口を開けて…って、え? 結局笑ってるんじゃねーかって? チッチッチッ。早川健の本質に気付かずに馬鹿にして笑っている連中と一緒にされては困る。 これは彼のあまりのカッコ良さに感動して、こんな人がいるのかというあまりのうれしさに自分の内面からほとばしる魂の叫びなのだ。
どんなに辛い時も悲しい時も、彼の姿を見ればそんないやな気持ちは消し飛んでしまい、笑顔で満たされる。 見る人全てを幸せにする、これこそまさにヒーローの中のヒーローではなかろうか。
という具合に早川健の魅力が強烈過ぎるために、逆にズバットに変身するのは邪魔だなどと言われることもある。 確かに、それまでの重厚な人間ドラマから一転して、いきなり変身ヒーローものに転じてしまうのは違和感がある。 だが、このズバットの活躍の中にこそ早川健の全てが凝縮されているとは考えられないか?
変身ヒーローは通常、普通の人間がカッコいいヒーローになる。 だがズバットは違う。カッコいい人間が、単に強化服を着込むだけだ。 いや、作中では強化服と語られているが、その能力は全然演出に現れて来ない。 そりゃあ、銃弾を鞭で叩き落としたりしているのだが、普段だって飛んでくる矢を箸でつかんだりしている。 普段とたいして変わらないのだ。うむ、それでいいのである。 言動の質も普段と大差ないし、変身ヒーローの体裁を取りつつ、中身は何も変わっていない、普段の早川健。これこそが重要なのだ。
早川健がカッコいい行動を取ると笑う人も、ズバットだとそんなに笑わないだろう。 変身ヒーローとは、えてしてそういったカッコいい行動を取るものだからだ。 そう、早川健は普通のヒーローと逆で普段がカッコ良すぎるので、変身ヒーローになることで自分のカッコ良さは元々変身ヒーロー級のものなんだとアピールしているのだ。 こうして、一見無意味とも取れるヒーローへの変身を敢えて行なうことで、早川健は普段からカッコいいヒーローなのだと認識させてくれるのである。
だから、強化服を着て生身の悪党どもをぶちのめしても、ボスを拷問して自白させようとしていても、あまつさえ何人も悪党を殺していても、ズバットはヒーローとして敢然と輝いているのだ。 誰も呼んでないのに「人呼んでさすらいのヒーロー!」と言い切ってしまう凄さ。それを許せてしまうのは彼が早川健だからなのだ。
そんな早川健と対決する用心棒たち。彼らも非常に魅力にあふれている。 早川健のような凄い男を引き立てるには、その相手も凄くなければならない。 故に、早川健さえいなければ日本一やら世界一という凄腕ばかりが揃うことになる。 第1話のランカークなんか、いかにもヤクザの用心棒という凄みを見せていたし、第5話の必殺ハスラー、第8話の地獄市なども渋くて素敵。 ボスともども、結構有名な俳優さんが出ていたりするので要チェック。
その良さがよく分かっていない人は、例えば用心棒の特技が大工だとかコックだとかという点で笑おうとする。 けどちょっと待て。唐突に全然違う例を出すけど、世間に大ブームを起こした必殺シリーズをよく見てみなさいって。 三味線屋、飾り職人、花屋、組紐屋なんて連中が自分の職業を生かして殺し屋やってんだよ? なんでそれが大ブームを起こして、同じようなことをしてるズバットの用心棒たちが笑われなきゃならんのだ。 ひょっとしてそれって、早川健を笑いものにしたいがあまりに、ズバットなら何でもかんでも笑ってやろうという悪意に満ちた態度ではなかろうか? そういう態度は改めて、もっと素直に良さを認めろと言いたい。
さて、本作品はドラマの方も見逃せない。基本的にラストシーン以外は全くヒーローしてないのでドラマに費やす時間が多く、他のヒーローものよりドラマが非常に濃い。 オリジナリティ溢れるストーリーが続出している。 「シラノ・ド・ベルジュラック」をパクった第18話、「犬神家の一族」と設定そっくりな第23話、そしてサブタイトルからして「そして誰もいなくなった」そのまんまの第28話…。 も、もとい!今のなし!やり直し!
えー、ドラマの方も、他のヒーローものよりドラマが非常に濃い。 まあ早川健のキャラクターがアレだから多分にクサい話になりがちなんだけど、逆にそういうクサい話をストレートに描かれると、今見ると結構新鮮だ。 生き別れの母との再会を描く第21話、親子の葛藤とスポ根をおりまぜた第22話、死を覚悟した子供の演技が光る第26話など。
更に、全体的に見るとストーリーの方は子供だましなんてことは全く無く、かなり現実的で説得力がある。 早川健の強烈なキャラクターしか知らない人は意外に思うかもしれないが。
ヒーローものの悪の組織は世界征服を狙っている割にはマヌケなセコい作戦を取るというのが相場だが、ダッカーは一味違う。 いや、元々ダッカーの目的自体が単なる犯罪行為に過ぎないんだけど、だからこそその行動には設定上無理が無く納得できてしまう。 新種の毒薬や爆薬を狙うとか、遺産をかすめ取ろうとか身代金を取ろうとか、ごく一般的で小規模な犯罪だ。 それゆえに非常に堅実だし、的確な手段で常に早川をピンチに陥れる。 早川はそのピンチを毎回、何の解説も無しに突破してしまうのだけれど、彼が早川健だということ自体が説得力に満ちた解説と言えるだろう。
とにかくこの快傑ズバットは、なんと言っても日本一、いや世界一のヒーローだ。 特撮ヒーローを語る上では絶対に欠かせない作品と言えよう。 特撮ファンなら、絶対に何としてでも見るべし。
また、「ズバッと参上、ズバッと解決…」のセリフはちゃんと毎回あるのだが、第1話と最終話にしか記載していない。 注意されたし。
なお、全話詳細に紹介するからといって、これを読んだら本編を見なくて済むかというとそんな甘いものではない。 こんな拙い文をいくら読んでも何の足しにもならない。実際に見てみなければその真髄には触れられないので、なんとしてでも見てほしい。
リストのみならこちら、ストーリー付きの方は長すぎるので4分割。