Side ARC 人工島に辿りつく頃合いには、うまい具合に月が雲に隠れていた。隠密活動にはありがたい天候である。 2人は薄闇の中、建設現場に近づいた。 「この埋立地は1年がかりの工事で作られているんだ。半年もすればあそこにでかい建物もできる」 「ほぅ」 「この大事業を打ち立てたのがロマリア出身の現プロディアス市長だ。なかなかのやり手との噂だな」 「……」 ロマリア、という単語にトッシュが反応する。 しかしビビガはそれを無視して続けた。 「この工事を請け負ってるのはプロディアスでも名の知れた建設業者だ。市長の斡旋だと聞くぜ…と、こっちだ」 ビビガが身をかがめるよう手で合図する。彼に倣って身を沈めつつ、トッシュが尋ねた。 「目的地ってのは宿舎のことか?」 「いいや。それは通り道さ。本命は隣の作業所だ」 「道理で見張りが少ねぇはずだ」 「入り口はな」 宿舎の出入り口はガードマンらしき者が見回っている程度であるが、隣の作業所とやらには見張りと思しき影がいくつか見て取れた。いずれも雰囲気が常人とは異なっている。明らかに、その手のプロだ。 作業所は、外から見ると侵入にはてこずりそうだが、宿舎側からは少しばかり厳重に見回りをしている程度にしか見えないようになっている。 見張りの注意はすべて外へと向けられているようだった。下調べをすれば、侵入にはこのルートが確実だとわかるはずだ。 「成程、ただの作業所にしちゃあ物騒だ」 内部へ入り込んだトッシュが一人ごちる。不敵な笑みを見せる彼に、ビビガが低い声を発した。 「あんたに頼みたいのは、ここの地下室に幽閉されている技師の救出だ」 「幽閉?」 「ああ。腕のいい技師が強引にロマリアに連れて行かれそうになっていてな、そいつを助けたい」 真剣な眼差しだった。 トッシュはすぐに事態を呑み込むと、最も重要な事柄を問う。 「地下室といったが、正確な位置は?」 「北東の階段裏に入り口がある」 「わかっ…」 突然トッシュが刀を抜いた。身を翻しざま、閃く刃が壁の陰から現れた人影を斬る! ビビガも一瞬遅れて反応した。同時に飛び出してきたもうひとつの人影と切り結ぶ。刃と刃のこすれるような音は、互いに更なる緊張感を生み出していた。 声もなく倒れた人影を尻目に、トッシュはビビガと鍔迫り合いに近い体勢となっていた影を、一刀のもとに斬り伏せた。 ちん、と刀を鞘に納める微かな音が響く。短刀を懐におさめ、ビビガが大きく息をついた。 「…さすがだな。噂はダテじゃないか。殺したのか?」 「峰打ちだ。相手が相手ならそうもいかねぇがな。行くぜ」 「ああ」 できる限り音を立てず、2人はその場を離れた。目的地へと向かう。 くだんの階段はすぐに見つかった。道中迷った様子がないところからも、ビビガがあらかじめこの作業所の見取り図を頭に叩き込んできたことが察せられる。 ビビガがペンライトで丹念に階段裏の壁を調べ始めた。その傍らで、トッシュは油断なく周囲に警戒の目を向けている。 やがてビビガはひとつの亀裂を探り当てると、懐のナイフを突き立てた。 手のひら大の壁の一部がはがれ落ち、奥からスイッチらしきものが姿を見せる。 スイッチを押すと、ビビガの目の前の壁が音もなく真上へと吸い込まれてゆき、壁の向こうに階下へと続く狭い階段が現れた。 2人が周囲に注意を払いつつ、階段を降りる。 降り始めた時は視認できないほど深い位置にあった最下段へ立つと、暗い廊下の先に1枚の扉が見えた。 薄明かりの漏れる扉には錠前がかけられていたが、ビビガは針金を使ってあっさりとそれを外してのけた。 扉が開かれる。 明かりが灯された室内では、6人の男が何やら作業をしていた。 扉が開くと同時に、彼らの視線は一斉にそちらに向けられる。 その6人の中に捜し求めていた相手を見つけたらしく、ビビガが安堵の声を漏らした。 「…無事だったか、サイモン」 声に応じるように、1人の男がゆっくりとビビガに近づいた。 左手に小さなドライバーを持ち、右手は白衣のポケットの中に入れたまま。 不意に、トッシュの背筋を悪寒が走った。 「離れろ、ビビガ!!」 |
「…一体どうなってやがんだ?」 物陰に身を潜めて追っ手をやり過ごしながら、思わずトッシュが呟いた。 「わからん。こっちが聞きたいくらいだ」 応じるビビガも困惑しているようだった。 だが、彼はためらいを振り払うようにひとつ頭を振った。物陰の外の様子を伺いながら、護衛を頼んだ相手に一言、詫びる。 「すまん」 「大した傷じゃねぇ。逃げる分には困らねぇよ」 言いつつも、傷の疼きと普段より重く感じられる左腕に、トッシュは内心焦りを感じていた。言葉通り、一人で逃走するだけなら何とかなる。だが、誰かを守りながらとなるとさすがの彼にも荷が重い。 あの時。 無防備だったビビガは、突然、助けようとしていたはずの男に襲われたのだ。 隠し持っていたナイフで彼が切りつけようとした瞬間、刀を抜いたトッシュが2人の間に割って入った。ナイフは刃で受け止めたものの、サイモンのもう一方の手に握られていたドライバーで、トッシュは左腕を深く切られたのである。 攻撃できる相手ならば、むざむざとやらるはずはない。だが、相手は救出すべき人間だ。荒業に出るわけにも行かず、一瞬彼は躊躇した。 しかし、更に他の5人からも同様の雰囲気を感じ取った時点で、トッシュは即座にビビガを連れてその場から逃走したのだ。 腕の傷は思いの他深かったが、一応血止めは済ませてある。 傷の疼きに一瞬顔をしかめ、ふと、トッシュはこの島へ来る直前のことを思い出した。 シルバーノアに戻る時間がないと知った時、落ち合う予定だった場所の脇に生えていた木の幹に、仲間内で取り決めた暗号で「人工島」とだけ残してきたのだが……。 トッシュはビビガに視線を向けた。 「ともかくここから出るぞ。そうすりゃ何とかなるはずだ」 「…わかった」 救出できなかった友を思っているのだろう、ビビガの表情は暗かったが、彼は頷いた。 捕まっては元も子もない。逃げ切ることができたなら、再び救出のチャンスは訪れる。言葉にせずとも、その考えは通じているようだった。 トッシュは近くの窓を見やる。 ──時間がねぇな…。 窓から覗く東の空は白み始め、夜明けを告げようとしていた。 |
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