Side ELC
SCENE 3


 プロディアスの南に位置する人工島は、現在大掛かりな建物の建設作業中であり、一般には立ち入り禁止区域となっている。
 建設中の建物──かなりの人員を収容できる会場らしきその建物は、人工島のほぼ中央に位置していた。
 そして、埋立地の一角に現場である作業所があった。簡易な作りだが、宿泊施設も整っている。
 人工島からプロディアスの街まではそれほど距離があるわけではない。しかし工事を急ぐ関係から、作業員は皆この作業所に寝泊まりするようになっていた。
 宿泊施設となると、作業員以外の就労者も必要になってくる。
 シュウが入り込んだ医療の関係者はもとより、宿泊施設での世話をする給仕係、清掃担当者など、かなりの人数がこの現場で働いているのだ。
 当然ながら、最多の人員は建設に携わる者達になるのだが。
 シュウはローワンという偽名で登録を済ませ、医療部署に配属となった。
 この部署の責任者はアンダーソンという50がらみの温厚そうな男性で、なかなかに腕のいい医師であるらしい。
 シュウはこのアンダーソンのもと、現場で体調を崩した者の対処にあたっていた。

 シュウがこの作業所に入った翌日、技術者が一人辞めていった。
 最近疲労が溜まっていたらしく、シュウが仕事を始めたその日にもたびたび医務室を訪れていたのだ。傍目にも顔色が悪いとわかるほどだった彼は、少し休むと技術者の集まる製作室へ戻っていくほど仕事熱心な男だった。
 そして、シュウは奇妙なことに気がついた。
 医務室を訪れる患者は、技術者が圧倒的に多いのである。
 建設現場ともなれば、多少の怪我人は出る。しかし、技術者には外傷を負う者はほとんどいない。皆、精神的な疲れ…アンダーソンのカルテでは、全員オーバーワークによる極度の疲労と判断されていた。
「あまり根をつめすぎると体に悪いからね。たまには研究を仲間に任せて、ゆっくり睡眠をとるべきだよ」
 アンダーソンもこう彼らに助言してはいるが、その言葉に耳を貸す者はなく、技術者達はただひたすらに仕事に打ち込むばかりらしい。
 確かに世の中には仕事熱心な者が多い。だが、シュウには彼ら技術者達のこの様子が、何かに取り憑かれてでもいるように思えてならないのだ。
 1人1人は毒にも薬にもならないような真面目な人間ばかりなのだが…。
 アンダーソンは腕のいい医師だと聞いている。その彼が技術者達に対し、こういったありきたりの判断を下し、通り一遍の注意しか行わないことにも疑念が湧いた。
 だが、雇われ者の身であるシュウに、それをとやかく言う資格はない。
 裏の世界での契約は絶対である。疑問を持ったとしても、契約を違反することは一方的な契約の破棄に繋がる。ゆえに疑問を抱くような依頼は受けない。それが裏の世界を生きる上での暗黙のルールだ。
 この作業所が医療関係において裏の人間を雇う事は、理に適っていると言えるだろう。
 しかし、逆を言えば、ここではつまらぬ詮索をしない人間を雇う理由がある、ということになる。
 製作室が無人になることはありえない。常に誰かが何がしかの作業を行っているはずだ。こちらの調査は難航することが容易に想像できた。
 また、シュウは業務をこなしながら医務室や宿泊施設を調べてみたが、サイモンの失踪の手がかりとなるようなものは見つからなかった。彼のカルテも残されていたが、不審な点は見あたらない。
 もっとも、これは予期できたことである。「部外者」が出入りできる場所に、重要書類が転がっているはずはない。木は森の中に隠せというが、こんなところに隠そうものなら、下手をすればすぐに足がつく。
 次に彼が調査対象として選んだのは、医務室と隣接しているアンダーソン個人の研究室だった。
 この部屋を調査しようと考えたのは、身近な場所であることもさることながら、偶然の機会に恵まれたせいである。
 今夜、突然作業所の主要メンバーが緊急会議を開くことになり、アンダーソンがその会議に参加することになったのだ。
 アンダーソンは、この事業には初期の段階から参加しているらしい。

 彼の私室も兼ねた研究室は、整理整頓の行き届いていた。いや、この小綺麗さはどちらかというと、余分なものが一切置かれていないがゆえの、生活感の少ないものだ。部屋というものは、一時的な使用であっても、半年も暮らしていればおのずと主の生活感が染み付くものである。
 シュウはこの部屋の様子から、普段人当たりのいいアンダーソンの姿そのものが、表面上取り繕われたものであるような印象を持った。
 目立たぬよう、ここでの仕事着である白衣は身につけていない。普段の黒装束で彼は手際良く調査を始めた。
「……?」
 サイモンの名前を見かけがシュウは、手にしていた書類をもう一度繰り直した。
 この書類は、部屋の中心に据えつけられた机の、鍵のかかった引き出しから出てきたものだ。鍵は彼が針金で開けている。
 ぱらぱらとめくってみると、1枚1枚に個人の名前が記されており、その中にサイモンの名が見つかった。
 彼の名の入った1枚に目を通す。
 ──カルテか?
 医務室にまとめられているカルテに酷似していた。いや、まさにカルテそのものである。
 その中に、唯一医務室のカルテとは異なる点があった。
 右下の備考欄に3つの文字が残されていたのだ。



「アルファ、プラス…?」
 我知らず、シュウは一番右に残された文字を、声に出して読んでいた。
 3つのうち、左と中央はそれぞれ斜線で消されている。だが、読み上げた文字はそのまま残されていた。
 …まるで、何かの症状の進行状態を示すかのように。
 サイモンの次のページを繰ってみた。
 これには『α-』という文字が書かれている。
 次のページには斜線で消された『α-』と『α』。
 最初から1枚ずつ確認してみると、全てのカルテに3種類のいずれかの文字が残されていた。
「…なんだ、これは……?」
 シュウの口から思わず言葉が漏れる。
 そして、次の瞬間、彼はもうひとつのことに気づいた。
 これらのカルテに記されている名前は、すべて技術者のものだったのだ。


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