06 翼はいらない (サモナイ3・スカアティ+ヤッファ)

(*「好き・03 友達」の続編です)


 ヤッファとの酒宴……というにはいささか静かな酒の席に、突然アティが姿を見せた時。
 実の所、嫌な予感がしたのだ。
 アティは相変わらず屈託のない様子で、ヤッファと酒を酌み交わしつつ談笑していた。
 彼女を呼んだ当人であるヤッファも楽しそうに酒を呑む。
 表面上は二人に合わせていたものの、彼女をこの場に呼んだヤッファの行動が気に入らず、つい杯を重ねてしまったのが、問題だった。
 スカーレルにしては珍しく、酒量の限度を超えたのだ。
 ――ハメられた。
 反射的にヤッファを見たスカーレルは、己の直感が間違っていないことに気づいた。
 視線が合った途端、このユクレスの護人はしてやったりと言わんばかりの笑みを返してきたのだから。
「センセ、今日はそろそろ戻りましょうか」
「え、でも、まだ早くないですか?」
 ちゃんと酒量に気を付けてますよ、と訴えかける瞳に抗いがたい衝動を感じつつ、スカーレルは苦笑を返す。
「女のコが遅くまで呑んでちゃダメよ。明日も学校でしょ?」
 切り札を持ち出すと、アティはしぶしぶ頷いた。
 本来こういう手は使いたくないのだが、やむを得ない。
 酒量の限度を超えたとはいえ、すぐに理性を失うことはないが、早めに手を打つに越したことはないのだ。
 後片づけを首謀者に押しつけ、スカーレルはアティを伴って庵を出た。
 ユクレスの夜は、ひっそりとしている。
 しかし、そこに棲む動植物の息吹は伝わるものだ。
 夜にユクレスを訪れる事が滅多にないアティには、普段と異なる集落の雰囲気が珍しいのだろう。
 スカーレルの隣を歩く彼女は楽しげだった。
 アティの様子は、変わらない。
 ――おそらくは、意図しての事なのだろう。
 何事も前向きに前向きにと考える彼女らしい選択であり、優しさだった。
 きっと、これからも普段の笑顔を見せてくれるのだ。
「センセはアタシが怖くない?」
 隣を歩きながら、スカーレルは軽い調子で問いかける。
 無意識に口をついた言葉の真意に、しかし彼自身気づいていなかった。
「どうしてですか?」
 アティが小首を傾げて訊き返す。
 スカーレルの視線が軽く周囲を巡った。
「今が夜で……」
 そして、視線はアティを捉える。
「アタシと貴女が男と女だから」
 アティが不意をつかれたように目を丸くし、直後、赤面した顔を慌てて伏せた。
 彼女の反応に、ようやくスカーレルは己の失言を認識する。
 酒のせいだけではない。確かにその要素は大きいが、自制心が働いていないのは、彼自身の欲望ゆえだ。
 心を鎮めなければ。冗談だと誤魔化して、一刻も早く船に戻るしかない。
 その時、赤い髪がふわりと揺れた。
 続いて、軽い衝撃。
 アティがスカーレルの胸に飛び込んできたのである。
 普段の彼女からは予想できない行為だったが、ここでようやくスカーレルは彼女も酒を呑んでいたことに思い至った。
 二重の不覚である。
 酒量の限度を超えると、こうまで頭の働きが鈍るとは。
「私……」
 俯いたアティのくぐもった声が耳に届く。
「あの時はきちんと言えませんでしたけど……スカーレルの事が、好きなんですよ」
 彼女の両手がスカーレルの服を握りしめる。
 ──決して、アティに言わせてはならない言葉だった。
 それゆえに一線を引いたのだ。彼女を傷つけると知って尚、拒絶した。
 何故なら……。
 スカーレルは右手でアティの顎を捉えた。
 涙目になっている彼女の綺麗な瞳をしっかりと見据え、その唇を塞ぐ。
 アティの身体に緊張が走ったが、スカーレルの左手は、彼女を強く捉えて離さない。
 やがて、アティの身体から力が抜けた。
 しばらくの時を置いて、スカーレルは僅かに彼女から身を離した。
 腕の中で頬を上気させながら自分を見上げる娘に、彼は小さく笑む。
「ごめんなさいね。最後の最後まで踏ん切りがつけられなくて。己の不甲斐なさが情けないわ」
「スカーレル……」
「貴女に自由でいて欲しい。それは偽らざる本音なの。アタシなんかに関わらずにってずっと思ってた。アタシには貴女を幸せにする事なんて出来るはずがないんだもの」
「いいえ!」
 我知らず自嘲を含む言葉を、アティは強く否定する。
 その声音に驚くスカーレルへ、彼女はにっこりと笑いかけた。
「だって、私、スカーレルと一緒にいられるだけで、幸せなんですよ」
 あれ以来見られることの無かった、全開の笑顔である。
 日陰者であるはずの彼をも魅了した、アティの天真爛漫な笑み。
 その笑顔の下で幾多の苦難を越えているのだと気づいた時から、惹かれていたのだ。
 スカーレルは思わず苦笑した。
「完敗ね。センセに張り合おうとしたアタシが間違ってたわ」
 一度つかまえてしまえば、二度と手放すことなど出来はしない。
 だから最後の一線を引いたのだ。
 ――けれど。
 スカーレルはそっとアティを抱きしめた。
 そして、万感の想いを込めて、囁きかける。
「愛してるわ、アティ」
「……はい」
 彼の言葉を噛みしめているアティへ、スカーレルは短く続けた。
「続きは部屋に戻ったら、ね?」
 途端に耳まで真っ赤になった彼女に笑いつつ、スカーレルはその頬にそっと口づけた。

──fin
(2005.08.06up)






07 それしかいえない (ロマサガMS・アルアイ)


 夜も更け、大勢の人で賑わうクリスタルシティの灯りも随分減った頃。
 宿のテラスに一人で佇んでいたアルベルトへ、背後から近づく小さな影があった。
「アルベルト」
 普段より幾分小さな声で、影は彼の名を呼びかける。
 振り向いたアルベルトは、月明かりの下に立つ赤い髪の少女に気がついた。
「アイシャ」
「ここにいたんだ。あのね、お茶をいれたんだけど、飲まない?」
 見ると、彼女は両手で包み込むようにマグカップを持っていた。カップからは湯気が上っている。
 ナイトハルトへの謁見後、彼らはクリスタルシティに宿を取っていた。
 アルベルトは夕食にほとんど手をつけず部屋に戻ったのだが、なかなか寝付く事ができず、テラスでクリスタルシティの夜が更けてゆく様子を眺めていた。
 アイシャはそんな彼の姿に気づいたのだろう。
 いや、それだけではない。寒空の下のアルベルトを気遣って、温かい飲み物を用意してくれたのだ。
「ありがとう」
 マグカップを受け取ったアルベルトは、良い香りのお茶を一口飲んだ。
 冷え切った身体を中から暖める感覚に、我知らず息をつく。
 隣に立つアイシャへ、彼は微笑んだ。
「おいしいよ。これはハーブティかい?」
「うん。寒い夜はいつも飲んでたの。温かいでしょ」
「アイシャは薬草に詳しいんだね」
「タラール族はみんなそうなの。村の子供は小さい頃から薬草について教わるから。勉強を重ねて調合師になる人も多いんだ。でも、私はまだ調合についてよく知らないから、そのまま煎じて使う事しかできなくて。……ヤーナさんにちゃんと教わっておけば良かった」
 最後が呟く程小さな声になり、アイシャの表情が沈んだ。
 タラール族が消失したという話はグレイたちから聞いている。アイシャ自身、故郷の同朋の行方に心当たりがないらしく、手がかりが全くない状態なのだ、と。
 ヤーナという人物はタラールの村で腕の立つ調合師だったのだろう。
「でも、薬草を見分けられるだけでもすごいよ。アイシャのおかげで普段から傷薬を常備できるんだから」
「ありがと」
 アルベルトの賛辞を素直に受け入れ、アイシャはにっこりと笑顔を見せる。
 そして、彼女は表情を改めた。
「あのね、アル」
 彼女はアルベルトをこう呼んだ。
 名前を略されることに慣れていないので少し面映ゆいが、親愛の表れでもあるその呼び方に、アルベルトは好感を抱いている。
 だが、後に続いた言葉が彼の意識を今現在の状況に引き戻した。
「お姉さんの事なんだけど……」
 自然と目を伏せかけた少年へ、アイシャは身を乗り出して続けるべき言葉を発した。
「一緒に、捜しましょ」
「え……」
 意外な一言だった。一瞬、アルベルトは戸惑う。
「私もね、村のみんながいなくなった時は途方に暮れちゃったけど、グレイたちが一緒に捜してくれるって言ってくれたから、元気が出たの」
 そんな彼にアイシャは熱心に言葉を継ぐ。
「みんなもきっと協力してくれるよ。ミリアムは頼りになるし、グレイはちょっと無愛想で、ジャミルはお調子者だけど、二人とも優しいもん。世界中を旅すれば、きっと手がかりが見つかるよ」
 一生懸命なアイシャの様子に、アルベルトは笑みを返す。寂しげで、虚ろな微笑みを。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけれど、私は覚悟を決めているから……」
 イスマス城の兵士はことごとく討ち死にを果たし、城は廃墟となり果てていた。
 ニーサ神殿に葬られた城主ルドルフとその妻マリアの亡骸が比較的綺麗に残っていたことでさえ、奇跡に等しいというのに、それ以上を望むことができようか。
 ディアナは、世継ぎであるアルベルトを逃がすため、脱出路に待ち伏せしていた巨大なレッドドラゴンに戦いを挑んだのだ。
 屈強な戦士が束になって戦うべきモンスターに、ただ一人、勇敢に立ち向かった姉の姿。
 ……殿下も私をお責めにならなかった。婚約者の死に等しい状況を聞きながら尚、私を気遣い、ねぎらってくださったのだ……。
「ダメ!!」
 大きな声音に、アルベルトは我に返った。
 アイシャが彼を睨んでいる。唇を引き結び、眉を寄せて。
「……アイシャ?」
「諦めちゃダメだよ、アル」
 怒っているかと思ったが、彼女の口調はひどく頼りない。
「だって、生きてる可能性があるんでしょ?お姉さんは頼りになる人だって言ってたじゃない。アルが信じないでどうするの。アルが捜さなきゃ、誰がお姉さんを捜すの?」
 見る間にアイシャの瞳に涙が溢れ、アルベルトは動揺した。
 しかし、彼女はそれに気づいた様子もなく、アルベルトの手を両手でつかみながら、懸命に続ける。
「きっと……きっと、どこかで生きてるから。だから一緒に、お姉さんを捜そう。諦めないで、アル。お願い、だから……」
 最後は涙ではっきり聞こえなかったが、アイシャの気持ちは痛いほどに伝わってきた。
 ――ああ、そうか。
 アイシャもまた故郷の人々の消息がわからないのだ。行方不明の人間を死んだものと考えるアルベルトの思考に、居たたまれないものを感じたのだろう。
 アルベルトは右手に持っていたマグカップを手すりの上に載せた。自分のもう一方の腕をつかむ彼女の手を、そっと覆うように触れてみる。
 いつしか俯いて泣いていたアイシャが、顔を上げた。
 ――あの状況で、ディアナが生きているとは思えない。
 だがこの時、アルベルトは一途な少女の健気な想いに応えたいと、強く思ったのだ。
「ありがとう、アイシャ。私も……信じるよ」
「アル……」
「これから、一緒に捜してくれるかい?」
「うん!」
 元気な返事に、笑みがこぼれる。
 アイシャの天真爛漫さは、周囲を元気づけるのだ。
「もちろん、君の村の人も一緒に捜そう。大丈夫、きっと見つかるよ」
「うん……ありがとう、アル……」
 彼女を元気づけたくてこう言ったのだが、アイシャはどこか寂しげだった。
 互いが相手に希望を抱かせたいと願う言葉の中に、なにがしかの諦めを感じ取るせいだろうか。
 それでも、アイシャへ向けた言葉が真実になることを、アルベルトは願わずにはいられなかった。

──fin
(2005.08.09up)






08 渦 (サモナイ3・クノン&スカーレル+レクディラ?)


 久しぶりに島へやってきたスカーレルは、クノンに本を数冊と密封された袋包みを手渡した。
「はい、お土産」
「ありがとうございます。こちらは?」
「ふふ、帝国で人気の茶葉なの。美味しいわよ」
 アルディラの紅茶好きを知った上での土産に、クノンは嬉しそうに微笑む。
 ただね、とスカーレルは付け加えた。
「ちょっと曲者で、淹れ方が難しいの」
「そうなんですか?」
「うちの船のキッチンならタイミングもばっちりなんだけど、ポットが変わると条件が微妙に変わるでしょ?」
 どうやら、かなり繊細なものらしい、とクノンは納得する。
「細かな分量までアドバイスできないから、色々試してみてちょうだい」
「はい」
 せっかくもらった茶葉だ。おいしい紅茶をアルディラに飲んでもらいたい。
 しかし、クノンには食べ物の風味を感じるのが困難である。
 クノンが考え込むより先に、楽しげな声が彼女の注意を引いた。
「で、アタシからもうひとつアドバイス」
 唇に人差し指を当て、スカーレルはウィンクをしたのである。

 ラトリクスを訪れたレックスは、目的地に行く直前にクノンに呼び止められた。
「こんにちは、クノン。どうしたんだい?」
「実は、レックス様にひとつご協力をお願いしたい事があるのです」
「何かな?」
 クノンはスカーレルとの経緯を説明した。
「成程、紅茶の風味かぁ……」
 料理は分量の書かれたテキストがあればこなせるが、クノンにはこういった感覚に依存する味を理解するのは難しい。数値変換できない事柄には近似値が代用されるものだが、その幅は一定ではないのである。
「よろしければご協力いただけないでしょうか」
 それでも、アルディラの為に、彼女に近づくために一生懸命なクノンの姿はいじらしく、見ていて微笑ましかった。
 レックスは明るく答える。
「俺で良ければ喜んで」
「ありがとうございます、レックス様」
 クノンの笑顔は相手に優しい感情を抱かせる。そう、レックスは思った。

 一週間後。
 ラトリクスを訪ねたレックスを交えて、アルディラたちはティータイムをとっていた。
 クノンの淹れた紅茶を一口飲んだアルディラは、驚いた顔で彼女を見る。
「美味しいわ、クノン。これ、初めて飲むお茶ね」
「はい。先日スカーレル様がお土産に持ってきて下さったんです。レックス様と一番美味しい淹れ方を研究しました」
「ふふ、ありがとう。レックス」
「いや、役に立てて良かったよ」
 和やかに応えつつ、レックスが苦笑を漏らしてしまった事には理由がある。
 ……ひどくクセのある紅茶だったのだ。
 ここで淹れられた紅茶は、やや強い香りが独特の風味を醸し出す美味しいものだ。
 が。このタイミングを理解するまでが難関だった。
 適量より濃ければ強烈な香りが味にフィードバックする。薄ければ香りが曖昧で中途半端な味になる。
 実際、今の風味を出すまでは、本当に美味しい紅茶になるのかと疑った事が一度や二度ではなかった。
 しかし、アルディラのために一生懸命なクノンを見ると、やはり応援したくなるわけで……。
 レックスの協力を得たクノンは、時間はかかったものの、紅茶の風味を引き出す事に成功したのである。
 こうして一週間の成果を味わってみると、数々の失敗を思い出してしまう反面、だからこそ今の味が余計に美味に感じられる気もする。
 クノンは空になったそれぞれのカップに、再び紅茶を注いだ。
 二杯目は少し渋みが増しているが、これがまた深い味わいを加えていた。
 アルディラは楽しそうに笑っている。クノンも上機嫌だ。
 レックスは少々複雑な思いをしつつも、二人が楽しいならいいか、と納得したのである。

 ――彼は知る由もない。
 紅茶の試飲をレックスに頼むよう、クノンにアドバイスした者の存在を。

──fin
(2005.06.20up)






09 時雨唄 (アーク2・シュウ&トッシュ)


『ゆめうつつ あけをいざなう しぐれうた』

「何だ?」
 言葉に不思議な響きを感じ取り、シュウはその呟きを発した男を振り返った。
 大木に背を預けたトッシュが、片方の目を開け、唇の端に笑みを浮かべている。
「いや、雨ってのも、なかなか風情があると思ってよ」
 言い置くと、トッシュは肩に抱いていた刀を手に立ち上がった。
 身体をほぐしながら、短く問う。
「頃合いか?」
「そうだな」
 行動開始までの間に交代で仮眠を取ったおかげで、すぐに動き出せる体勢は整っている。
 ただ、この冷たい雨が幾分身体の動きを鈍らせるかもしれない。

『夢うつつ明けを誘う時雨唄』

「……先程の言葉は何だったんだ?」
 ああ、とトッシュは小さく笑う。
「俳句ってヤツさ。短い詩だな。スメリアの言い回しを使って五・七・五で情景や心情を詠むんだよ」
「ほう」
「……親父が好きだったんだ。俺のは見様見真似だがな」
 雨に煙る景色に目を向けるトッシュの様子に、どこか照れが感じられた。
「時雨唄、か……」
 草花を打つ雨を唄と感じるとは風雅なものだ。言葉の響きも耳に心地良い。
 シュウもしばしに雨音に耳を傾けた。
 スメリアの言葉を編むことは出来ないが、風情は感じられる気がする。
「さて、行くか」
 少しばかり時間を置いて、トッシュは気分を切り替えるように告げた。
 短く応じたシュウの瞳が、雨の源を辿る。
「しばらく止みそうにないな」
 曇った空を見上げる彼に、愛刀・紅蓮を携えたトッシュが不敵に笑った。
「なぁに、好都合だぜ。雨に紛れて進めるってもんだ」
「確かにな」
 この天候なら、むしろ隠密行動には都合が良いだろう。
 振り向いたトッシュに頷いて見せ、シュウは荷物を背負い直す。
 やがて、二人は時雨の向こうへと姿を消した。

──fin
(2005.06.06up)






10 緑の宴 (ロマサガMS・ジャンクロ)


 森の中を歩くクローディアの表情は普段よりも柔らかだった。
 自然と肩の力が抜けている彼女の様子は、また一段と魅力的である。
 先を行くクローディアから数歩遅れて進むジャンが、つい彼女の顔ばかりを見つめてしまうのも、無理からぬ事だった。
 突然、クローディアが振り向いた。
 完全に不意打ちを受けたジャンは、一瞬うろたえる。
「何?」
「え、な、何でしょうか」
「さっきから私の事を見ていたでしょう。どうしたの?」
 まさか見惚れていたとは言えない。
「いえ、その、森に入ってからリラックスした様子だなと思っていたんです」
 本心に近い言葉だったせいか、クローディアは特に訝る事はなかった。
「自然に囲まれて育ったから、こういう場所は安心できるの」
 迷いの森でなくとも、こういった自然の息吹を身近に感じられる場所が、クローディアには居心地が良いのだろう。
 そんな彼女が魅力的な反面……。
「町は苦手ですか?」
「そうね、人が多すぎて疲れてしまうわ」
「メルビルを訪れた時は驚いたでしょう」
 クローディアが再び歩き出す。
「正直、どうしようかと思ったわ。貴方以外に知っている人もいなかったし」
 確かに、他人と面識を持たず森で生活していた人間が、突然あの賑やかな城下町を訪れれば、戸惑いもするだろう。
 しかし何より、彼女の声音に少しばかり非難が含まれている事を察し、ジャンは慌てた。
「すみませんでした。その、どうしても貴女にメルビルへ来ていただきたかったので、強引に誘ってしまったんです」
 公的には、その正体を確かめるために。
 けれど、私的には……。
「職務で?」
 あまりにタイミングの良すぎる質問に、ジャンは思わず息を呑む。
 クローディアは立ち止まり、静かな瞳で彼を見つめていた。
 澄んだ瞳が問いかけている。
「……確かに、職務ではありますが」
 わずかに翳った彼女の瞳に、ジャンの心が揺れる。

 特に用事があったわけでもなく。
 ふと気が向いて訪れた迷いの森で、モンスターに遭遇し……。
 クローディアと出会った。

 『迷いの森には魔女が棲む』
 メルビルでこの言い伝えを知らぬ者はいない。
 だが、帝国の上層部にはまことしやかに囁かれている噂もあったのだ。
 ――行方不明の帝国の皇女が、迷いの森で生きている、と。

 助けられた直後は、口数の少ない彼女からなかなか言葉を引き出すことができなかったため、自分が喋ってばかりだった。
 指輪を見た瞬間、現実に返ったものの、少しだけ耳にした彼女の声は印象的で。
 半ば強引にメルビルまでの地図を手渡したものの、正直期待はしていなかったのだ。
 ――だからこそ。
 来訪の報せを聞き、慌てて飛び出した宮殿の外で、所在なげに佇むクローディアの姿を見た時、沸き上がる喜びを抑えることが出来なかった。

「私情も……ありました」
 ひっそりと加えた言葉に、クローディアは少し驚いたように目を見開いた。
 硬直したジャンの様子を見るうちに、彼女の瞳が和らぐ。
「……嬉しいわ」
 その一言に多くの意味を含ませ、クローディアは彼に穏やかな笑みを見せたのである。

──fin
(2005.08.17up)






お題「幼い頃」01-05

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