辻斬り御用


   2


「あ、エルク、シュウさん。お帰りなさい」
 シルバーノアに戻った二人を出迎えたのは、ハッチの搭乗口付近で洗濯物を運んでいたリーザだった。パンディットを始め、ケラックやモフリーも荷物運びを手伝っている。
 普段はメンバーの何人かがチョンガラやチョピンの指示のもと、シルバーノアのメンテナンスを手伝っている事が多いのだが、今はそういった姿は見られない。おそらく出立が近い事もあり、全員中で待機しているのだろう。
「ああ、リーザ。…アークはどこだ?」
「アークさんなら作戦室だと思うけど…どうしたの?ひょっとして、仕事がうまくいかなかったんじゃ…」
 やや緊張した面持ちのエルクに、リーザはやや表情を曇らせ、気遣わしげに問いかける。
 いつもなら、仕事を終えた後のエルクは、さっぱりした顔をしているはずなのだ。
 不安そうな少女へ、エルクは苦笑を返した。
「いや、仕事は片づけた。そっちとは別に話があってさ」
「話?」
「心配すんなって。ケンカしに行くワケじゃねぇよ」
 やや不安顔のリーザに軽く手を振ると、エルクはシュウと共に作戦室へと足を向けた。

 シルバーノアには、居住スペースとして割り当てられている個室以外にも、いくつかの船室がある。中でも最も広い部屋は作戦室と呼ばれ、その名の通りミーティングに利用されていた。
 現在この部屋にいるのはアーク、ポコ、トッシュ、チョンガラ、ゴーゲンの五人のみ。この場にいない人間は、分担している仕事を片づけている最中である。
 作戦会議はプロディアスに向かったシュウとエルクが戻るのを待った上で、全員を集めてから始めることになっていた。
 分担作業を終えた彼らは、一足早くここへやって来ると、テーブルに広げられた地図を囲んでいたのだ。
「…これまでの殉教者計画を考えると、高層建造物が怪しいな」
 テーブル一面に広げられた地図の中央、小さな島国を見つめながら、アークが呟く。
「スメリアでの建造物っていうと…」
「パレンシアタワーだろ」
 ポコの問いに即答したトッシュの表情は苦々しい。
 パレンシアはスメリアの王都であり、その城下にはトッシュの故郷であるダウンタウンが広がっている。
 モンジ組が仕切っていた昔は、治安の行き届いた街だったのだ。
 しかし、アンデルが政権を握って以来、スメリアという国に関してはろくな話を聞かなくなった。ダウンタウンも例外ではない。
 スメリア国王の暗殺より一年の歳月が流れていた。
 アークたちは国王暗殺の濡れ衣を着せられ、現在国際手配中の身である。
 一年前の事件で空位となったスメリア国王の代理として、大臣であったアンデルが国政を掌握した。摂政と言えば聞こえはいいが、彼の行為は王位簒奪と言っても過言ではないだろう。
 だが、今のアーク達には身の潔白を証明する手だてがない。汚名を晴らせぬまま、危険な立場に身を置きながらも、彼らはロマリアの動きを探りつつ、その計画を阻止してきたのだ。
 パレンシアタワーには、一年前よりアンデルが設計・建設を始め、現在落成間近となっている建造物だった。そもそもアンデルの計画という時点で、何かあると踏んでいたのだが、実状を知った今、猶予は残っていない。
「ともかく、一旦トゥヴィルに戻るべきだな。タワーの完成も間近らしいし、ぐずぐずしてはいられない」
 険しい表情を浮かべるアークに、トッシュが問う。
「いつ出る?」
「エルクたちが戻り次第、すぐに発とう。そろそろ全員をここに集めてもいいかな」
「じゃ、僕が呼んでくるよ」
 ポコが戸口へと早足で急ぐ。
 彼が手をかける直前に扉が開かれ、エルクとシュウが作戦室へと姿を見せた。
「あ、エルク、シュウ。お帰り。ちょうど良かった、今からみんなを呼んで…」
「わりぃ、ポコ。ちょっと待ってくれ」
 相手の言葉を皆まで聞かず、エルクは脇をすり抜けようとしたポコの肩を押さえると、まっすぐアークを見た。
「アーク。話がある」
 その真剣な声音に何かを感じたのだろう、アークはテーブルの地図から目を離し、正面からエルクに向き直った。
「何かな、エルク」
 エルクはポコから手を離した。
 そして、決然と言い放つ。
「シルバーノアの出発を遅らせてくれ」
 ポコが目を見開いた。
 トッシュは片方の目をすがめる。
 チョンガラもやや驚いた表情を見せたが、ゴーゲンは驚いた様子を見せず、ゆっくりとエルクに視線を向ける。
 しかし、室内に走った緊張が、彼らがそれぞれに抱いた感情をあらわしていた。
 アルディアの女神像、ホルンの大聖堂、ブラキアのバンザ山…これらの事件で、軍事大国ロマリアが多くの国々を股に掛け、『殉教者計画』を進めていることが判明している。
 そんな中、スメリアに動きがあるという情報が入ったのは、つい数日前だった。
 同時にこれは、ロマリアの動静と共に、スメリアを牛耳るアンデルの行動を一年余りも追い続けていたアークたちが、ようやく得た手がかりでもあったのだ。
 当然ながら、その件に関しては既にエルクたちへ説明されており、二人がシルバーノアに戻り次第、出発することは了承済みだったのだが。
「…理由は?」
 アークの静かな声が、短い問いを発した。
「アルディアで辻斬りが起きてんだよ」
 眉をひそめたアークに、エルクは勢い込んで話しかける。
「被害者は四人。中には依頼を受けたハンターもいた。犯人は皆目見当がつかねぇらしい。今じゃプロディアスもインディゴスでもめっきり人通りが減っちまって、空気がぴりぴりしてるんだ。いつ誰が被害者になるかわからねぇって、みんな戦々恐々としてる。…俺の街で起こってる事件を放っておきたくねぇんだよ」
 辻斬り犯への怒りを露にするエルクの姿が、アークの瞳にくっきりと映る。
「君たちの帰りを待って、シルバーノアがスメリアへ発つ予定だったことは、わかっているんだな?」
 アークの口調は、確認のそれである。
 エルクは頷いた。
「ああ。今回の一件は、あんたたちが一年もの間敵の動きを探り続けて、ようやく見つけた糸口だってことも、知ってる。一刻も早くスメリアに行かなきゃならねぇって解ってるつもりだ。…だから正直、迷った」
 ひとつ息をつくと、エルクの瞳に強い意志が宿った。
「けど、放っておきたくねぇんだよ」
「………」
「頼む、アーク。三日だけ、待ってくれ」
 エルクはこう言うと、頭を下げた。
 トッシュが、わずかに眉を上げる。
 ポコも驚いている様子だったが、その表情には同情の色が濃い。 
 チョンガラは難しい顔で腕組みしており、ゴーゲンは皺だらけの手でゆっくりとあごひげをしごいていた。
 アークの視線はエルクに注がれたままだ。
 緊迫した中で、エルクの背後に立つシュウは一切言葉を挟まなかった。気配すらも感じさせない程、静かに佇んでいる。
 だが、室内を漂う気まずい雰囲気はいかんともしがたい。
 重い沈黙に耐えられなくなったのか、ポコが口を挟む。
「でも、今から三日って言っても…」
「ポコ」
 ささやかな言葉を遮られ、ポコは上目遣いに声の主を見た。
 トッシュはそんな彼をちらりと一瞥し、再び対峙する二人の姿を視界に収める。
 しばらく沈黙が続いたが、不意に、良く通る澄んだ声が問いかけた。
「三日と言ったが、その期日で仕事を終えられるのか?」
 …第三者の介入のない仕事ならば、確約できる。
 しかし、神出鬼没の通り魔相手となると、話は別だ。
 だが。
 エルクは顔を上げ、不敵な笑みを見せた。
「ああ、そのつもりだぜ」
 断言する少年に、アークの瞳が細められる。
「けど、三日のロスはでかいと思う。だから、どうしても無理なら…ヒエンを残して行ってくれ」
「ヒエンじゃと!?」
 思いがけぬ発言にチョンガラが声を上げた。
 ロマリアで不時着したヒエンは、アーク達がキメラ研究所へ乗り込んでいる間に、チョンガラやチョピンの活躍で、なんとかシルバーノアに移すことができたのだ。
 ヒエンは現在シルバーノアの格納庫に収納されている。確かに整備はしてあるものの、あまりに意外なエルクの発言に、チョンガラは目をむいたのである。
 だが、それを無視してエルクは続けた。
「あれならオレ一人で動かせる。小回りも利くし、仕事が終わったらすぐに追いつけるだろ」
 しかし、チョンガラだけではない。この場にいる者はそれぞれに驚きを隠せない様子だった。
「無茶を考えよる。そもそもあれは短距離用の小型船じゃぞ。シルバーノアに関わっていると知れれば無事では済まん。ワシらを狙う賞金稼ぎは星の数じゃ、万一空中戦にでもなれば分が悪すぎる。どだい…」
「俺も残ろう。ヒエンの操縦ならば俺の方が慣れている」
 難点を羅列していたチョンガラの声は、シュウの提案によって、強制的に断ち切られた。
 それまで無言だった彼の発言は、予想以上に周囲の人間を驚かせたが、当人は平然としたものである。
 チョンガラはぎろりとシュウを睨んだものの、表情を伺わせない彼の横顔に溜息をついた。
「サシの話し合いに口を挟むってのは考えもんだぜ、シュウ」
 言葉の上では諫めつつも、斜に構えたトッシュの口元には笑みがある。
 シュウもまた、かすかに笑った。
 そして。
「――わかった。三日だけ、待とう」
 リーダーの決断が下った。
 誰かが口を開くよりも先に、アークは言葉を継ぐ。
「但し、三日だけだ。その間にエルクの仕事が片づかなければ、ヒエンを残して移動する」
「…アーク」
 どこか拍子抜けした様子のエルクに、アークが笑いかける。
「折衷案だよ。今の時期、別行動は控えたいしね」
 エルクの頬が上気する。瞳が輝いた。
「…サンキュ、恩に着るぜ!」
 嬉しそうな顔を見せるエルクに、アークもつられて小さく笑う。
 但し、釘を刺すことは忘れずに。
「だけど、できる限り期限内に片づけてくれよ。そうでなかったら、君はもちろんシュウとリーザも残していくことになる」
「な…なんでリーザが出て来るんだよ」
「君たち二人だけなら回復役が必要だろう?何より彼女が黙っちゃいないと思うけどね」
 確かにもっともな意見なのだが、からかいつつプレッシャーをかけるところが彼らしい。
 そんなアークに返す言葉が見つからず、エルクはやや頬を赤らめたまま、不満顔で押し黙った。
 事実なのが如何ともしがたいところだ。
 ふと、エルクが肩の力を抜いた。
 どうやら気を取り直したらしい。やや俯いていた顔を上げると、エルクはさっぱりした表情を浮かべていた。
「…ともかく礼を言うよ。サンキュな」
 そして、行動を開始すべく、その場できびすを返しかけたのだが。
 ここでアークが彼を呼び止めた。
「ああ、エルク。ひとつ、大事なことを忘れてた」
 ……嫌な予感がする。
 意味不明の、けれども確信に近い感情を抱きつつ、エルクはゆっくりと振り返った。
「何だよ」
 どこか警戒した様子のエルクに対し、アークがにこやかに爆弾宣言をする。
「シルバーノアの出航が遅れることは、君からサニアに報告してくれないか」
 一瞬、エルクは凍りついた。
 ミルマーナの一件以来、サニアのロマリアに対する怒りは更に激しいものになっていた。
 当事者であるアークたちを除けば、一連の作戦に対しては、ある意味彼女が最も積極的なのだ。当然ながら、今回出航が遅れるとなれば、かなりの剣幕で食ってかかることだろう。
 最も、彼女の生い立ちを考えるとこれは当然なのかもしれないが、なまじ呪術を心得ているだけに、その怒りはすこぶる危険なのである。
 ここまで考えて、エルクは血相を変えた。
「ちょっと待て!なんでオレなんだ!?こーゆーことはリーダーから話すもんだろ!」
 食ってかかるエルクに対し、アークは肩をすくめてみせる。
「今回はエルクのたっての希望で出航を遅らせるんだ、君に説明する義務があるんじゃないかな?…まぁ、俺だって命は惜しいからね」
 サニアが聞いたら呪われそうな台詞である。
 しばし固まってしまったエルクは、硬直が解けると、そろりと背後のシュウを振り返った。
 世にも悲惨な表情で、縋るような瞳を向けている。
「シュウ、頼む」
「……何故俺に振る」
「あのサニアがオレの言葉を素直に聞くわけねぇじゃん…」
 アークを説得すると言った時の気概はどこへやら、まるっきり弱気になっている少年へ、救いの手は差し伸べられなかったらしい。
「これも仕事の一環だろう。しっかりな」
 シュウの励ましとも拒絶ともとれる言葉に、思わずエルクは肩を落とした。



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