辻斬り御用


   3

 テーブルに広げられていたカードを表返す手が止まった。
 占いに集中していたサニアが顔を上げる。その切れ長の鋭い瞳は、テーブルの向こうに立つ少年を睨みつけていた。
「どういうこと?」
「だから、今アルディアで起こってる事件を解決したいっつったんだよ。アークには了解を取ってある」
「ふざけるんじゃないわよ!」
 両手で激しく机を叩き、サニアは立ちあがった。怒りも露わに言葉をたたみかける。
「すぐにスメリアに行くことは前から決まってたわ。大体、アルディアは素通りするはずだったのに、あんたのたっての頼みで立ち寄ったのよ?情報収集だから仕方ないと思ったのに、なんだかんだ言って仕事を引き受けて、ようやく片づいたと思ったら次の仕事?冗談じゃないわ、あんたの勝手でこれ以上予定を引き延ばさないでくれる!?」
 エルクは何も言わなかった。
 サニアはまなじりをつり上げ、更に続ける。
「今スメリアを覆っているのはホルンやブラキアに勝るとも劣らない、いえそれ以上の暗黒の気配なのよ。事は一刻を争うわ。こんな所でぐずぐずしていて、取り返しのつかないことになったらどうするつもり!?道草なんて食ってる場合じゃないわ!」
 ぴくり、とエルクが反応した。
「…確かに身勝手なのは認める。けど、放っておけねぇんだ」
「ギルドの仕事なんて次から次へと起こるのよ。まさかそれ全部あんた一人で片づけたいなんて言うんじゃないでしょうね?いちいち手を出してたらキリがない事もわからないの?」
「こっちも一刻を争うんだよ!!」
 突然、エルクが声を上げた。
 それまで傍目にもわかるほど自分を抑えていた彼の荒い声に、一瞬、サニアは息を呑まれて言葉を切った。
「もう犠牲者が四人も出てる!いつ次の被害者が出てもおかしくねぇんだ!」
 エルクの声音には、隠しきれない苛立ちが含まれている。
 しかし、サニアは冷めた瞳でエルクを見つめた。
「だからって、今、あんたがその仕事を請けなきゃならないの?」
「オレが、放っておきたくねぇんだ」
「………」
「オレの街で起こったこの事件を、見て見ぬ振りするのはごめんだ」
 エルクの燃えるようなまっすぐな瞳と、サニアの氷のように冷たい瞳が交錯する。
 サニアが、つ、と視線を外した。
 前に落ちてきた髪を軽く後ろに流すと、先程まで座っていた椅子に腰を下ろす。
 そして、テーブルに広げられていたカードを取りまとめながら、おもむろに口を開いた。
「ずいぶん勝手な言いぐさじゃない」
「…………」
 慣れた手つきでカードをシャッフルすると、サニアはその中の四枚をテーブルに並べた。
 一枚を表に返す。
 黒地のカードには文字に似た赤い文様が描かれていた。それが示す意味を読みとることができるのは、占い師のサニアだけだ。
 彼女は次のカードに手を伸ばした。
「あんたの言う三日で事態が悪化する事は、もちろん考慮に入れてるんでしょうね?」
 サニアの口から、先程の激昂とは打って変わった静かな声が発せられる。
「…ああ」
「そう」
 エルクの返答を聞きながら、彼女は三枚目のカードを読みとっていた。
 そして、サニアは最後の一枚を表に返す。
 右手のカードに視線を落としたのは一瞬だった。
 それを裏返し、テーブルに広げられた三枚を重ね合わせる。次いでそれらをテーブルの左手に置いてあった山札に収めると、サニアは全てのカードを懐にしまい込み、立ちあがった。
「サニア?」
 無言で部屋を出ようとした彼女を、エルクが訝しげに呼び止める。
 サニアはちらりと彼に視線を投げた。
「アークが了承したなら確定事項でしょ。一刻も早く片づける事ね」
 そして、どこか拍子抜けした表情のエルクを残し、彼女は部屋を去ったのである。

「随分あっさりと引き下がったな」
 戸口の脇で壁にもたれ、両手を組んでいたシュウの声に、サニアはちらと彼を見た。
 しかし、取り立てて何を言うでもなく、青年の前を素通りしようとする。
 その時。
「最後のカードは何と出た?」
 サニアの歩みが止まった。
「『剣』よ。寓意は困難の向こうの勝利」
 だから引き下がったと言わんばかりのもの言いに、シュウは一言だけを返す。
「成程な」
「…何か言いたいの?」
「別に」
 涼やかなシュウの瞳を半ば睨み返し、サニアはついと顔を背ける。
「アークが許可したのなら、何を言っても無駄でしょ」
 言うなり彼女はさっさと立ち去ったが、シュウは何も言わずに、その背中を見送った。
 口ではああ言っているが、サニアが引き下がったのはそれだけではないだろう。
 ──彼女が故郷を想う気持ちは、おそらく誰よりも強いはずなのだから。
 サニアを見送ったシュウの口元はわずかに綻んでいたのだが、背を向けたまま歩み去った彼女がそれに気づくことはなかった。


 シルバーノアの出航が三日遅れになった旨が全員に伝えられた後、エルクはプロディアスへ赴き、新たな仕事を請け負うことになった。
 その場にいたメンバーが大なり小なり危惧したのはサニアの態度だったが、意外なことに彼女は表だってはさほど怒ることもなく、むしろ自ら進んで今回の一件への協力を申し出た。どうやら、引き受けた以上はさっさと片付けるしかないと割り切ったものらしい。
 もっとも、それはサニアに限ったことではない。エルクの話を聞いたメンバーはそれぞれに協力をかって出た。
 しかし、仕事には向き不向きがある。また、お尋ね者のアークたちに街での情報収集を頼むわけにもいかず、最終的にはエルク、シュウ、リーザ、シャンテ、サニアの五人がプロディアスとインディゴスに分かれて情報収集に当たることになった。
 とはいえ、どちらの街でもほとんどの住民が外出を控える中、ギルドで聞いた以上の収穫を得ることは出来なかったのだが。
 しかし、気になった点はいくつかあった。
 ひとつは、犯人の特徴が皆目見当がつかない所。
 もっとも一人歩きをしていた人間が被害者になるのだから、これは当然といえば当然である。
 もちろん、犯人は余程用心深いのだろう。…だが。
「姿無き殺人者、ね。事実だけどこれじゃ街の人たちを不安に陥れるだけだわ」
 インディゴスで買った新聞をテーブルに投げ、シャンテは溜息をついた。
 一通り情報収集を済ませたエルクたちは、作戦室で今後の方針を検討していたのである。
 やや不安げなシャンテをちらと見やり、シュウはテーブルの新聞へと視線を移した。『アルディアを脅かす姿無き殺人者』という記事が一面トップで大きく取り上げられている。
「有力な証言は皆無。犯人の外見的特徴も不明。……どこから手をつけるつもりなの?」
「そうでもないぜ」
 意外にも、余裕のある声でエルクは応えた。
「目撃証言が皆無ってのは、犯人が用意周到な奴だってことだよな。狙った獲物は確実に仕留めてんだ。一人歩きのカモしか狙わねぇ。…なら、こっちからお膳立てしてやればいいだろ?」
「エルク、まさか一人で行くつもり!?」
 リーザが血相を変えたが、エルクはニヤリと笑った。
「オレはそんなにバカじゃねって。囮さ」
「…囮?」
「ああ。一人歩きの奴しか狙わねぇんなら、そうしてやればいい。最近夜歩きする奴は減ってるし、犯人は腕に自信があるんだろ?なら、襲ってくる確率は高いぜ」
 常に攻めに出ようとするエルクらしい作戦だった。
 確かに危険ではあるが、彼らに時間がないのも事実である。
 全員がそれぞれにエルクの発言を吟味する中、最初に応じたのはシュウだった。
「かなり危険だが、誰が囮になる?」
 彼もまた同じ意見だったのだろう。この辺りのあうんの呼吸は長年ハンターを続けている人間特有のものだろうか。
「見張り組がすぐに駆けつけるにしても、しばらくは犯人とサシで戦わなけりゃならねぇし、その場を凌ぐ腕のある奴じゃねぇとな。ハンターのオレやシュウは面が割れてるから囮ってのもマズいだろうし…」
「手を貸してやろうか?」
 作戦室で彼らの話を聞くともなく聞いていたトッシュが口を挟んだ。
 全員の視線が彼に集中する。
「いいのかよ?」
「シルバーノアで待ってるだけってのもヒマだしな。どうせなら暴れる方が面白れぇ」
 普段ならつっかかるハズのエルクが、珍しくトッシュへ喜色満面な笑顔を向けた。
「助かった。じゃ、女に化けてくれよ、おっさん」
「…は!?」
 トッシュが一瞬凍りついた。
 おっさん呼ばわりされた事に気づかないほど、衝撃が大きかったらしい。
「女子供の方が犯人も油断するだろ」
「んなマネできるか!!何考えてやがる!」
「遠目だったらオッサンでも女に見えるかもしれねぇじゃん」
 考えもしなかった提案にトッシュは心底焦っている様子である。…確かに、大の男が女に化けるのはあまり気持ちのいいものではないだろう。
 シルバーノアにおいて、この二人のやりとりは少なくないのだが、楽しそうなエルクと狼狽するトッシュという構図は珍しい。
 今の状況を考えれば不謹慎なのだが、誰もが面白そうに成り行きを見守る中、ひとつの声が上がった。但し、助け船というにはやや難のある発言ではあったが。
「女装した方が逆に怪しまれそうな気がしない?どうしてもって言うならお化粧はしてあげるけど」
「シャンテ、てめぇ正気か!?」
「…その前に」
 シャンテはくつくつ笑っているエルクに呆れ顔を向ける。
「被害者って全員男じゃなかったの?」
 一瞬、室内が静まりかえった。
 被害者が男ならば、当然ながら女装などする必要はない。
 トッシュがゆっくりと訊き返す。
「……なんだと?」
「気づいてなかったのかよ、オッサン」
 トッシュのこめかみに青筋が浮かぶ。
「どういう了見だ、てめぇ…」
「おもしれーじゃん」
 あっけらかんとしたエルクの発言の直後、トッシュは鯉口を切った。
 途端にエルクは腰を浮かして席を離れる。
 二人が即席追いかけっこを始めた。こうなるとまるで子供のケンカである。
「もう、エルクったら…」
 リーザは眉根を寄せ、呆れ顔で二人を見つめる。
「でも案外面白いかもね。トッシュなら強面の美人になるんじゃない?」
「…あんた、正気なの?」
 トッシュが聞いたら怒りに油が注がれそうな発言だが、幸い彼は追いかけっこの真っ最中である。
 楽しそうに同意を求められたサニアは、発言者に対して呆れを通り越した軽蔑の眼差しを向けた。
 その視線を軽く受け流し、シャンテはおとがいに軽く指をあてて婉然と笑う。
「もちろん冗談よ。でも、似合わないとは言わないけどね」
 ついていけないとばかりにサニアが肩を竦めた。
 リーザは目を丸くして二人を見つめていたが、その瞳に浮かんだ不安の色を見てとるや、シャンテの笑みが苦笑に変わった。どうやら、冗談が過ぎたらしい。
「ま、アレはアレとして。見張りのメンバーはどうするの?」
「まずエルクと俺が入る。後は…回復魔法の使い手が望ましいな。だが、これはポコとアークに頼めばいいだろう」
 よどみなく答えるシュウの態度に、リーザが安堵の表情を浮かべた。その様子から、彼女がこの場で誰を頼りにしているのかがよくわかる。これには、シュウがリーザにとって『村の外の世界』で初めて知った、信頼の置ける頼れる人物だったという経緯もあるのだろう。
 とはいえ、女性陣の会話をあっさりと聞き流したシュウに、シャンテはつい笑ってしまった。
 この男も自分のペースを崩さない。もっとも、それが彼らしいのだが。
 ギャラリーのやりとりを余所に、トッシュとエルクの追いかけっこは続いている。
 ……結局、このお遊びはアーク達がやってくるまで中断されることはなかったのである。



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