辻斬り御用 5 アルディア橋の欄干を背に、トッシュは二つの影と相対していた。 ひとつは最初に出現した大柄の影。 頭全体を布で覆っているため、顔形はおろか表情も伺い知ることは出来ない。唯一あらわになっている両目は、ただ昏い光を宿すのみである。黒一色で統一した服の上からもがっしりした体格であることが見て取れた。しかし、その外見とは裏腹に、動きは素早い。 そして、もうひとつの小さな影。 ――二対一か…。 目元まで覆われるほど深く被ったフードの下から覗いている口元は、あどけなさを残している。おそらく、まだ子供なのだろう。 かろうじて口元を覗かせている小さな影は 先程トッシュの視界を横切ったものだった。 何故ここに子供がいるのかを疑うよりも、関係のない人間を戦闘に巻き込むまいとする意識の方が強かった。しかし、戦う相手の攻撃を流していたトッシュに対して、庇っていたはずの子供が襲いかかってきたのである。 両手に鋭く光るナイフを握りしめ、小さな影は今もトッシュの隙を伺っている。 こちらの攻撃をかわすのはたやすい。だが、腕の立つ男との戦いの最中に仕掛けられると、さすがの彼にも少々厄介だった。 欄干を背にしているのは、背後を取られぬためであると同時に、二人を視野に収める意味もある。音が封じられている今、視覚は重要な役割を担っていた。 囮作戦で誘き出した男との戦いに集中していたせいか、今のトッシュは子供の気配を読みづらくなっていたのだ。 ここへ来て、聴覚を封じられたことが彼を追いつめていたのである。 一対一ならば確実に仕留められる。だが。 ……少しばかり分が悪いな……。 『音』が聞こえないのだから、応援が駆けつけるまでには予想以上の時間がかかるはずだ。下手をすれば気づかない可能性もあるが、待機している顔ぶれを考えれば、それは杞憂に過ぎないだろう。 それまで持ちこたえられるか否か。 辻斬りが単独犯だと考えていたのも、今にして思えばあさはかだったが、とやかく言っている暇はない。 トッシュは眼前の敵に神経を集中する。 ――どちらが動く? じりっと男が右へ移動し、子供が一歩を踏み出した。 刹那。 トッシュの瞳が、新たな影を捕らえた。 向かって右、インディゴスへと続く方面から近づく二つの影。 遠目ながらも、それがソードナイトとニンジャであることを即座に判別し、トッシュは一気に剣気を高めた。 子供が駆ける。 ――真空斬! 鋭い剣圧を放って近づくモンスター二体を足止めさせ、返す刃で子供のナイフを跳ね上げる。 続いて飛びかかってくる影のくないを刃で止め、その足を蹴り飛ばし、振り向きざま子供の胴を薙ぐ。しかし、手応えはない。 再び襲いかかる影をかわしたところで、逆方向から新たな敵が姿を見せた。 ――さすがに、まずいか……。 トッシュの瞳が険しさを増す。 彼の内で、焦燥感が膨らんでいた。 |
静かすぎる夜闇の中、シュウが何かを感じたのは、トッシュの姿が見えなくなってから十分ほど経過した後だった。 反射的にアークへ目線を走らせる。 即座に彼と瞳が合った。アークの浮かべていた表情に、シュウは己の感じた異変が事実であることを確信する。 直後、二人は潜んでいた場所を飛び出し、トッシュの跡を追った。 囮を演じているのはあのトッシュだ。余程のことがなければ心配することはない。だが…。 理由のない不安を覚えつつ、アークと共にシュウは急ぐ。 程なくして、二つの影が視界に入ってきた。 だが。 シュウは訝しげに眉をひそめた。 何故か、聞こえるべきはずの『音』が微塵も感じられない。 目標に近づきつつあるにも関わらず、音が聞こえないために、視覚と聴覚の誤差が本来あるべき距離感を狂わせるのだ。 シュウが原因に思い至るより早く、アークが解答を発した。 「サイレントの術だ。無音結界が張られている」 犯人と刃を交えるトッシュから視線を外さず駆ける彼に目線を移す。 刹那、シュウは凄まじい殺気を感じた。 「避けろ!」 咄嗟に身体を捻ったのは、この声が耳に届いたのとほぼ同時だった。二人がそれぞれに身を伏せたすぐ脇を、強い風を伴った凄まじい剣圧が通り抜ける。 「な…」 シュウは愕然とした表情で、傍らを駆け抜けた風の跡を目で追った。 視線の先の欄干が一部、木っ端微塵に砕けている。頑丈に作られていたはずのそれは、剣圧が通り抜けた部分だけが、跡形もなく破壊されていた。 「馬鹿な、何故…?」 今の技は、シュウの見慣れたものだった。いや、むしろ警告を発し、隣で身を伏せたアークの方がこの技については詳しいはずである。 自らの立ち位置から距離を置いた敵へと放たれる、トッシュの技『真空斬』。 その威力は二人が目にした通り、強烈だ。トッシュの攻撃力がそのまま放たれるのである。剣圧が増している分、通常の斬撃よりも、むしろ破壊力は大きい。 見ると、彼は辻斬りの犯人らしい人物と一対一で戦っていた。 遠目にも激しく斬り結ぶ様子が確認できたが、ここで、シュウは奇妙な違和感にとらわれた。 トッシュの動きに無駄が多いのだ。いや、不自然な動きと言うべきだろうか。 二人の戦いを静観していたシュウは、やがて、あることに気づいた。 トッシュの動きを目で追ううちに、彼が対峙する敵以外にも『何か』がいるように見えたのである。 男の正確無比な攻撃を紙一重でかわし、防いではいるものの、不必要な動作の入るトッシュが劣勢なのは一目瞭然である。 なにより、トッシュが味方を攻撃するはずがないのだ。 一体、何が起こったのか。 彼の抱いた疑問に解答をもたらしたのは、やはりアークだった。 「コンフュージョンか……伊達に何度も辻斬りをやっているわけじゃないらしいな」 シュウとは逆方向へ技を避けた彼は、トッシュの戦いを両の目で捕らえ、冷静に状況を把握していた。それが、アークの戦いにおける知識と経験の豊かさを垣間見せる。 コンフュージョンは相手の精神に影響を与え、混乱に陥れる術である。いもしない敵の存在を認識するだけではなく、味方の姿もまた敵として映るのだ。トッシュのように直接攻撃に高い技量を持つ者は、逆にそれが仇となる。下手をすると同士討ちで全滅する可能性もある恐ろしい技だ。 成程、精神に影響を与え、混乱に陥れる術を使われれば、敵味方の区別がつかないことも頷ける。 この状態では迂闊に近づくことは出来ない。アークやシュウがトッシュの攻撃を受ける危険もさることながら、近づく二人へ牽制攻撃を放つことで、辻斬り犯を相手にしている彼がますます不利になるのだ。 刹那、トッシュの殺気が鋭さを増した。 シュウは一瞬身構えたが、予測した剣圧に襲われることはなかった。どうやら標的はこちらではなかったらしい。 その時。 不意に、空気が変わった。 音の失われた世界で、緊張に満ちた死闘が繰り広げられている。双方の放つ殺気はやや離れたこの位置までも伝わってくるのだが、肌を刺すような気配の中に、異なる空気が出現したのだ。 アークの周囲に静謐な気が満ちる。術の心得はほとんどないシュウにすら感じられるこの空気は、アークだけが持ちえる独特の術――精霊の祝福を受けた彼の、力の発露の前触れだった。 しかし、この位置から目標であるトッシュたちまでには、まだ距離がある。『炎使い』の異名をとるエルクですら、ここからの魔法攻撃が命中するかは微妙なところだ。 トッシュの真空斬はこの距離を貫いたが、これはむしろ牽制だったのだろう。目標を捕らえるというよりも、薙ぎ払うという方が近い攻撃だった。 アークが高めた精霊力が、こちらまで漏れ伝わる殺気を緩和する。 静なる水の癒しの力。 アークの瞳が戦う二つの影を射抜いた。 「トータルヒーリング!」 二人の視線の先を、まばゆい光が覆う。 夜闇を照らし出す聖なる光に、一瞬、目を奪われた。 だが、シュウの瞳は精霊魔法が唱えられる前に放たれた真空斬の軌跡を追っていた。 流石に標的となった人物の顔形までは確認できないが、おそらく…。 辺りを満たしていた光がおさまると、刃と刃が重なる鈍い音が小さくこだましていた。 ――無音結界が、破れたのだ。 |
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