辻斬り御用


   6

 現場に駆けつけたエルクとポコを迎えたのは、トッシュの攻撃だった。
 欄干寄りで戦う二つの影が視界に入り、その姿を視認できたと同時に、真空斬の衝撃が二人を襲ったのである。
 直前に肌が粟立つ程の凄まじい剣気を感じたエルクは、反射的に、やや後方を駆けていたポコの腕をつかんで飛び退いた。
 勢い余って倒れ込んだ二人の脇を、凄まじい風が通り抜ける。破壊を伴うその剣技は、整備された橋の表皮をえぐりつつ、到達地点の欄干の一部を粉砕していた。
「今の…トッシュの真空斬!?」
 見誤るはずのない事実に、ポコが愕然となる。
 距離があるにも関わらず、戦うトッシュの凄まじい気迫が伝わってくる。相手は一人なのだが、彼の気配はまさに鬼気迫ると言った感があった。
 だが、いくら遠目とはいえ、トッシュが仲間を見間違えるとは思えない。
 エルクたちはその場で身を起こすと、二人の動向を見つめた。
 ──何かがおかしい。
 味方を攻撃した行動もさることながら、トッシュの動きに無駄が多すぎるのだ。
 エルクの目から見ても、トッシュが対峙する相手の力量はある程度予測がつく。
 トッシュの腕を考えれば、いつもの余裕が感じられないことが不自然だった。
 それだけではない。何か…。
「…ね、エルク。音、聞こえる…?」
 どこか戸惑いを帯びたポコの言葉に、エルクはようやく異変の正体に気が付いた。
 音が、聞こえないのだ。
 トッシュと人影は攻守所を変えつつ、激しく斬り結んでいる。その気配は伝わっているというのに、存在するべき音が全く途絶えていた。
 先程の真空斬の衝撃が耳に残っていたせいもあるだろう。しかし、状況をすぐに理解できなかったのは迂闊だった。
 ――そう、この辻斬り犯は、一人歩きの獲物を見つけては、サイレントで周囲に無音状態を作り出し、邪魔が入らぬよう周到に準備をした上で、相手を襲っていたのだ。
 被害者となった人々は、助けを呼ぶ手段も見つけられぬまま、閉ざされた空間で、追いつめられ、殺されたのだろう。
 その卑劣な行為に、エルクはこみ上げる怒りを抑えることが出来なかった。
 本音を言えば、すぐに駆けつけたい所である。しかし、尋常ではないトッシュの状態を鑑みると、今は静観するしかない。
 エルクは歯ぎしりをした。槍をつかむ拳が強く握りしめられる。
 その時。
 大気の中に、異なる気配が加わった。
 生物のそれではない。だが、大いなる力の源を感じる。それは、エルクにも馴染み深いものだった。
 遠くで凝縮する力の波動。聖なる祝福を秘めた水の力。
 これは……。
 エルクがトッシュの更に向こうへと目を凝らす。
 仄かな月明かりが照らす夜闇にまぎれ、そこにいるはずの人物を視認することは出来なかったが、次に起こった出来事は容易に理解できた。
 トッシュ達を中心に、光が降り注ぐ。
 それは、夜に、ましてやこの淡い月明かりの中では生まれるはずのない煌めきだった。
 大いなる光の源は、精霊の力。この世界を構成するかけがえのない存在だが、人が忘れてしまったものでもあった。
 忘却による破壊のため、失われつつある精霊の力を借りられる者は稀である。けれども、忘却の中でなお、精霊たちに認められた者がいた。
 精霊たちの祝福を受け、彼らの力を宿した魔法を操る力を持つ、一人の少年。
 刃と刃を交える音が遠く響く。時折、鍔迫り合いのくぐもった鈍い音が入り交じった。
 アークの精霊魔法、トータルヒーリングが封印結界を破ったのだ。
 同時に、この術によってトッシュの身に起こっていたであろう異変も収まったはずである。
 歪んでいた感覚が、遮断されていた世界と綺麗にかみ合わされる。
 エルクの足が地を蹴った。
 トッシュと対峙していた影が身を沈め、後方へと跳ねる。一度はトッシュの追撃をかわした影だが、続く二の太刀に上腕を斬りつけられた。しかし、影は傷を受けた事など微塵も感じさせぬ素早さで、更にトッシュとの距離を置く。逃走の態勢に入っていることは明白だった。
 ──逃がさねぇ!
 幼い頃より身近に感じていた炎の精霊の息吹が、エルクの腕を媒体に力を凝縮してゆく。
 駆けるエルクの左腕が炎を纏った。その腕が空を薙ぎ、生じた熱が勢いを伴って走り抜ける。
「怒りの炎よ、敵を焼き払え!」
 エルクの炎が紅蓮の刃と化し、影に襲いかかる!
 突如出現した炎に影が一瞬たじろいだ。
 そして、その一瞬が明暗を分ける。
 炎が影を取り込んだ。


 炎に包まれた男が悲鳴を上げる。
 その有様にトッシュは一瞬息を呑んだが、即座に刀を引くや、仲間の名を呼んだ。
「ポコ!」
 やや遅れて駆けつけたポコは、炎に巻かれた男の姿に足をすくませた。だが、すぐに我に返ると、威力を抑えた氷結魔法を唱え、炎をうち消し始める。
 術により生じたこの炎を消すには、唱えた当人であるエルクが行うのが最も早い。だが、彼の様子を見たトッシュは、今の状態ではそれを期待するのは不可能だと判断したのである。
 最初はなかなか炎の勢いが弱まらなかったが、一旦ポコの術が働き始めると、炎が消えるまでさほど時間はかからなかった。
 もっとも、エルクの本気の炎ならばそう易々と消し去ることは出来なかっただろう。彼なりに、炎の勢いを抑えていたらしい。
 激しい炎と熱から解放された男は、地に両手をつくと、四つ這いのまま、上体を揺らして息をする。男の衣服からは鼻をつく焦げた臭いが立ち上っていたが、それには異臭──肉が灼かれた臭いも混じっていた。
 どうやら命に別状はないらしいが、かなりの火傷を負っているのは明白である。この場で治癒させないのであれば、早めに医者に診せねばならないだろう。
 そんな男に対して、エルクは冷ややかな眼差しを向けている。
 ポコが息をつき、魔法を唱える手を休めた。何とか炎は収まったらしい。
 トッシュはそれを確認すると、ハンターの少年へ、低い声で短く問うた。
「…殺す気か?」
 詰問に近い声音だったが、怒りを無表情の仮面で覆い隠したエルクは取り合わない。
「あの程度じゃ死なねぇよ」
 吐き捨てるように言葉を投げ、エルクは右手をひらめかせた。
 その手に握られていた槍が空を切り、男の喉元に突きつけられる。
 苦しそうに呻いていた男が、息を呑んだ。
「そうだよな?多少は術を知ってんだろ。でなけりゃああいう使い方なんかできねぇよな」
 エルクの瞳に剣呑な光が浮かぶ。
 それが、見る者に危惧を抱かせた。
 トッシュが言葉で、ポコが両手でエルクを抑えようとした、その時。
「結果論だな」
 夜の風を思わせる、静かな声が響いた。
 エルクの表情が動く。その瞳がトッシュの背後にひとつの影を捉えた。
「…シュウ」
 エルクの声に誘われるように、夜闇に溶け込んでいたシュウの姿が月明かりに浮かび上がる。
 彼らは先程のやりとりの間に合流していたらしく、シュウはアークと共にやや離れた位置からエルクを見つめていた。
 声と同じく、静かな瞳で。
 エルクはシュウへと向き直った。
 仮面に隠しきれない怒りが、鋭い眼光に現れている。常人ならば身を竦ませそうな視線だが、今エルクが対峙する相手には効果がなかった。
 シュウは、何も言わない。
 黙したまま、激昂した彼を見つめている。
 やがて、エルクの仮面が剥がれ落ちた。現れた素顔には悔しさと怒りが入り交じっている。奥歯をかみしめる少年の両の拳が握りしめられた。
 誰も、何も言わない。
 緊張をはらんだ沈黙は、エルクがシュウから瞳をそらすことで、破られた。
「俺たちには、犯人を裁くことはできない」
 淡々と事実を告げる声。
「…わかってる」
 行き場を失った怒りを両手に込め、エルクが答えた。
 ハンターの役目は、犯人を捕らえる事だ。指名手配された者がどのような罪を犯していたとしても、ハンターの彼にそれを裁く権利はない。
 頭では理解している。しかし、事件のからくりを知り、犯人を目の前にした時、思わずエルクの理性のたがが外れてしまったのだ。
 …シュウならば、どんな時でも、感情に流される事はないだろう。感情を抑え、任務を遂行する忍耐力を持っている。
 エルクが自分に足りないと痛感する、能力だ。
 何とか怒りを堪えるエルクの様子を確認し、シュウはゆっくりと犯人へと近づいた。
 そして、傍らを通り過ぎざまに、少年の肩を軽く叩く。 
 反射的に顔を上げたエルクの瞳に、シュウの柔らかい表情が映った。
 相手を力づけるような、かすかな笑み。
「シュウ…」
 叱られた子供に似た表情を浮かべる少年に、シュウは軽く頷いて見せた。
 そして、彼は苦しげな呼吸をする男を見下ろす。
 一変して冷徹なハンターの顔となったシュウは、うずくまる男に言い逃れを許さぬ鋭い目を向けた。
「念のために聞いておく。辻斬りの理由は何だ?」
 その場に新たな緊張が生まれる。
 男はしばし沈黙していたが、やがて掠れた声で呟いた。
「…恐怖を…与えてやりたかった…」
「何だと?」
「病気なんだ。娘が…」
 力無くうなだれた様子で、男がこれだけを言う。
 しかし、話が見えない。冷静さを取り戻したエルクがやや苛立たしげに問いただす。
「それが何の関係があるんだよ」
 男は俯いたまま、弱々しく言葉を継いだ。
「娘は、余命幾ばくもない…。何もしていないあの娘が苦しみながら死ぬのが悔しかった」
「ふざけんな!てめぇの不幸をすり替えようってのか!?」
「エルク!」
 ポコが思わずエルクの腕をつかむ。服の上から伝わる身体の震えが、彼の怒りを表していた。
 言葉が、かけられない。
 ポコはエルクの腕を押さえたまま、うなだれた。
 残る三人は、怒りもあらわなエルクとは対照的に、それぞれ無言で男を見下ろしていた。
 無表情のシュウ、普段と変わらず落ち着き払ったアーク。そしてトッシュは、男の僅かな動きも見落とさぬ、鋭い眼を向けていた。
 五種五様の視線を受ける男は、荒い息の下で、短く言葉を継ぐ。
「それに金もいる。……ただ稼ぐだけじゃ足りねぇんだよ…」
 諦めの中に悔しさを滲ませた声だったが、それでエルクの怒りが収まるはずがない。
「だから許されるってのか!?おまえに殺された奴らはどうなるんだよ!!」
「エルク!!」
 ポコに腕をつかまれたエルクはぎりぎりのところで踏みとどまっていたが、男の言動は彼の怒りの炎へ油を注ぐだけだった。
 それを横目に、トッシュが嘆息と共に言葉を吐き出す。
「…確かに娘は気の毒かもしれねぇがな。治療費がてめぇの親父が悪事で稼いだ金だと知って、喜ぶとでも思うのかよ?」
 怒りも露なエルクとは対照的に、彼は冷静さを失っていない。
 普段はふざけていることが多い男だが、これで見るべき所は見ているのだ。彼の持つ鷹揚さは、包容力の裏返しでもあるのだろう。
 アークは言葉を挟むことなく、両手を組んだまま男を見つめている。
 ここで、それまで沈黙を守っていたシュウが、口を開いた。
「娘の名は何と言う?」
 それまでエルクに答えていた男が、わずかにシュウを見やった。
「…リディア」
「娘の母の名は?」
「……エミリア」
「発病したのは何年前だ?」
 続けざまの問いにしばし時間が開いたが、男は小さな声で答えた。溜息混じりの声には、疲労がにじみ出ている。
「…五年…になるか…」
「入院先は?インディゴスか、プロディアスか?」
 間を置かぬ問いかけは、詰問のように聞こえる。
 元来無口なシュウは必要最低限のことしか喋らない。これは、ある意味仕方ないだろう。
「…金がないんだ。入院なぞさせられん」
 どこかあきらめの入り交じった男の口調に、ポコが気遣わしげな視線を送った。
 常に相手を思い遣る少年の表情は、男の身の上話を聞いてからひどく痛ましげである。
「では、それを見立てた医者は誰だ?」
「…………」
 男は答えない。
 シュウは質問を変えた。
「娘は今年で幾つになる?」
「…十二だ」
「そうか」
 ここで、シュウの口調が変わった。
「幼い子供の病は、見ていてつらいものがあるな…」
 何かを思い出すような声である。
 男がわずかに顔を上げた。シュウの声音に同情の色を感じたらしい。
 シュウは小さく溜息をついた。
「病は気力を奪い取る。それは看病をする者にとっても同等だろう。…いや、ある意味それ以上なのかもしれんな」
「…………」
「ところで、そのエミリアが発病したのは三年前だったな」
「五年前だ」
 会話が途切れた。
 シュウの瞳が鋭く光る。
「エミリアは貴様の妻の名ではなかったのか?」
「!!」
 男が目をむいた。
 固まったのは一瞬。続いて、男は傷を負っているとは思えぬほどの素早さで身を起こすと、両手を大きく振った。
 両手首に仕込まれていた針が、シュウ目がけて放たれる。
 男は同時に背後に飛びすさり、退路の確保を狙った。
 シュウの左腕が一閃し、手甲が針を吹き飛ばす。
 トッシュが刀を抜き、アークは標的を見定めると同時に、ナイフを投じようとする。
 だが、その場の誰よりも速かったのは、エルクだった。
 エルクの右腕が唸り、握られていた槍が空を裂く。
 逃走を図った男のすぐ脇に、槍が突き刺さった。
 衝撃で男の身体が揺れる。本来ならばすぐに体勢を立て直すこともできたのだろうが、先程の炎のダメージによるものか、男は揺らいだまま、膝をついた。
 槍に行く手を阻まれ、退路を失った男がゆっくりと顔を上げる。
「もう、逃げないのかよ?」
 剣呑な光を瞳に宿し、エルクが歩み寄った。
 その背後ではトッシュが刀の背を肩に乗せつつ、アークはナイフを指に挟んだまま、そしてシュウが銃器を手に、地へ伏す男を見下ろしている。
 仰ぎ見た先から、近づく複数の影を捉えると同時に、男の身体から力が抜けた。




◇BACK◇ ◇NEXT◇