母乳育児体験談

ここではおっぱいルームで母乳育児に取り組んでいるお母さん達の体験談を掲載します。

目次

専門職でも大変だった母乳育児

はじめに

 看護婦として働いていた私が、真の母乳育児のすばらしさに出会うまで、紆余曲折がありました。専門知識があり、対処療法の薬剤などを日常的に使っているために、おかしやすい過ちを私自身していたような気がします。今回、自分自身の体験を振り返ることで、少しでもこれからのお母さんが母乳育児のすばらしさに出会えたらと思い、どのようにして母乳育児法に出会ったか少しお話しさせてもらおうと思います。

母乳育児の認識

 内科病棟の看護婦として働いていた私が妊娠に気づいたのは、平成10年の11月でした。待ちに待った妊娠でしたので大変うれしく、早速「妊娠大百科」などを買い込み、せっせと読みました。学生の時に母性の授業はあったものの、育児という面では素人以下、雑誌などから知ることもたくさんありました。もちろん、母乳で育てたいという希望はあり、「母乳育児を成功させる本」や「桶谷式」の本なども読んでいました。しかしどこかで、「でなかったらミルクもあるわ」と簡単に考えていましたし、母乳とミルクは母親が選択できるものだとも思っていました。

 また、夫は環境ホルモンなどに関心のある人で、母乳汚染のことを 気にしていました。そこで二人で話し合い、初乳は飲ませた方がよいこと、長く飲ませるメリットはあまりないので早めにやめるということにしました。恥ずかしながら私の中で母乳育児の認識というものがその程度だったということです。

 私の通っていた産院は基本的には母乳育児を推奨していましたが、指導も簡単なもので家で母乳と乳頭のマッサージをしていました。ただ、陥没乳頭だったので、ちゃんと吸えるか不安がありましたが、どこに相談したらよいのかもわからず自分の中に不安を抱えたまま出産する事になったのです。

出産してからの授乳の苦しみ

 平成11年6月、元気な女の子を出産しました。お産後初めての母乳指導の時、婦長さんが私の乳頭を見て「ひゃー、これ吸えるやろか」と言ったのです。その一言で私の中の不安は一気にふくれあがり、母乳育児に対する自信もなくなったのです。最初は出が悪く、指導も最初だけだったので、授乳室で一人でマッサージをし授乳、看護婦さんがチェックするのは飲んだ量だけ、少なかったらミルクを足すというものでした。皮肉なもので、患者としていかに看護婦のケアが必要かを体験することになるのです。母乳に対する疑問や不安がありましたが何も聞けないまま、お土産に粉ミルクまでもらい実家に帰ったのです。

 それからが大変でした。3時間毎のマッサージ、授乳、搾乳の繰り返し。寝ても覚めてもおっぱいおっぱいで気が狂いそうでした。泣かれる度に足りないのではとびくびくし、本にあった「20分以上吸い続けている場合は母乳不足」という言葉を信じ、時計とにらめっこ、30分経って離すと泣く娘に、仕方なくミルクを与えるということの繰り返し。母乳不足=母親失格と言われているようで、ミルクを足すときはとても屈辱的でした。また、「いい母親」という評価をしてもらえないのではという不安もありました。私にはミルクを足す以上に娘に泣かれることが耐えられませんでした。泣いている原因すべて私の責任のように思え、まわりからも「おっぱいが足らないのでは」と責められているように感じたのでした。それでも1ヶ月になる頃には、何とか母乳だけで過ごせていました。

トラブルメーカー=つまるおっぱい

 一日にミルクを一回足すか足さないかと言う状態で2〜3ヶ月すぎた頃から、今度はおっぱいがトラブルを起こし始めました。つまるのです。そのころは食事など気にしていませんでしたから、お肉はもちろん油分の多い食事や乳製品などもたくさん食べていました。

つまって当然です。しかし、どうやって解消していいかわからない。以前出産した友達が、助産婦さんにマッサージしてもらったと言っていたのを思い出しましたが、どこの助産院がいいのか全く情報がない。小心者の私は飛び込みではいけず、タオルを暖めては自分で泣きながら搾乳していました。それに、手技料が掛かることを変にもったいないという気持ちが働き、調べてまで行くという行為には至りませんでした。

 しかし、こんな状態を長く続けられるわけもなく、誰にも相談できず私の中のストレスはたまる一方、娘の飲む量も日増しに増えてくるのに、私のおっぱいでは追いつかず、泣かれるたびに責められているようで、嫌々ミルクを与えるという日々が過ぎていきました。5ヶ月ぐらい経つと夕方ぐらいからおっぱいの量が足らず、決まってミルクを足すようになったのです。夜泣きも手伝って、私自身へとへとでした。結局夫に爆発、今までの苦しみをぶつけたのです。男である夫がどこまで理解してくれたのかはわかりませんが、「母乳が足らないとは知らなかった。いい子でなくていい、育てばいい、いい母親にならなくていい、足らないのなら足せばよい。」と言ってもらい、少し気が楽になって、足りないときはミルクを足していましたが、気持ちは複雑でした。

おっぱいルームとの出会い

 夜泣きもあったので、夜のミルクの量が増え、そうすると昼間もミルクを足さなくてはいけなくなり、娘はすくすく?!と大きくなっていきましたが、「これでいいのか」という疑問も大きくなりました。もう7ヶ月になっていましたから、働き出すことも考え、断乳しようと思い、母乳をやめました。予防接種をどうするか決めようと思い、図書館に本を借りに行きました。断乳4日目でした。母乳育児や予防接種の本を借り、その中に福井先生の「予防接種どうしている?」があったのです。本を読んで、母乳の大切さ、ミルクの怖さを知り、家からすぐ近くに福井先生の母乳育児相談室があることもわかって、いてもたってもいられなくなって、電話をかけ自分が疑問に思っていることを話したのです。「タオルを持ってすぐに来なさい」といっていただき、娘と二人してその日に相談室の門をくぐったのです。それからは、食事のことに始まり、処置法や育児法、しつけ?!まで、多岐にわたり、勉強させてもらっています。1歳になった娘はおっぱいと食事で元気に育っています。今は週1回、母親塾に通っているようで、月謝ならぬ週謝も決して高くない、それだけのものを身につけていると思っています。

これからも母親塾の塾生として

 母親だって、子供が産まれたと同時に生まれるのです。最初からうまくはいきません。昼間子供と二人きりの生活は、本当に閉鎖社会で孤独です。夫にはなかなかわかってもらえません。一歩間違えば、私も虐待する母親になっていたと思います。でも今は、おっぱいルームに行けば、先輩ママさんやおなじ月齢の母親さんたちに、ちょっとした疑問や不安も聞いてもらい、「うちはこんなんやったよ」と体験談まで聞けます。おっぱいルームはちょっとした子育てサロンでもあるのです。

 まだまだ、母親一年生、わからないこと、不安なこと、これからもおっぱい先生や先輩ママさんたちに色々教わり、楽しく子供と一緒に成長したいと思っています。

おっぱい先生からのコメント

 鮫島さんが、はじめておっぱいルームに来た日のことをよく覚えています。

 厳しい顔つきの中にとても不安な思いを感じ、専門家であっても自分のことになるとさっぱりという、いつものパターンが見えてきました。

 そうなんです。専門家でもお産の後の何とも言えない不安感で、ノイローゼの一歩手前の状態になることがよくあります。ですから、素人の若いお母さんたちが、はじめて赤ちゃん(それもわがままいっぱいに見える思いどおりにならない赤ちゃん)の世話をするのにとまどい悩んでもあたりまえです。

 不安、自信がない、疲れるなどマイナスの思いで、ついついミルクに手を出して楽をしたくなる気持ちもわかります。

 でも、ちょっと待ってね。苦しい気持ちはわかるけれど、赤ちゃんの気持ちも知ってね。

 赤ちゃんは、あなたのおっぱいをのみたいのよ。だっておっぱいを飲んでるときのあの

安らかな顔を思い出してみてください。母と子の絆の原点がここにあるのですから…。

 専門家でもこんなに悩んでいるのだから、素人の私が悩んでも当たり前と思ってリラックスした気持ちで取り組んでください。困れば私のようなおっぱい先生がいますから。自分で言うのもなんですが頼りになるので大いに活用してください。そのための専門家なのですから…。 


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