えん魔くんの仲間は、博識のシャポー爺さん、雪女家の姫君である雪子姫、調査係のカパエルである。 更にえん魔くんは人間の小学生、ツトムと友達になる。 かくしてえん魔くんは非行妖怪たちと戦い、本当は地獄に送り返さないといけないのだが大抵の場合相手を殺してしまうのだった。
だが、この作品は驚くべきことに設定上は鬼太郎とさほど差別化を図ろうとはしていない。 それどころか、鬼太郎にわざと似せていると見受けられる部分が多々ある。
主人公は少年(声:野沢雅子!)。眉毛(髪の毛)で妖怪を探知し、変幻自在の妖怪マント(ちゃんちゃんこ)とステッキ(リモコン下駄)で妖怪と戦う。 主人公には常に博識のシャポー(目玉親父)が付き添い、他にも何人か仲間がいる。 だが、敵にも味方にもなるダラキュラ(ねずみ男)なんてのもいる。
ほら、基本設定がほとんど同じでしょ。 じゃあキャラクタを置き換えたら、どっちの作品のエピソードかわからなくなるのかと言うとそんなことは全然ない。 これこそ、この作品のカラーのなせる技。
原作が永井豪だというだけで、もう水木しげるとは作品カラーが全然違うのが分かる。 例えば、鬼太郎のエピソードで血が流れる話はあるか? 実はあるんだけど、全然思い出せないでしょ。鬼太郎の世界とは、そういった乾いた印象のある世界なのだ。
じゃあえん魔くんはどうかというと、もう生理的嫌悪感をしばしば誘起するウェットな世界。 時計台の歯車に挟まれるネズミ、部屋の中を飛ぶ大きな蛾、など、何気ないところで神経を逆なでしてくれる。 妖怪も血を流しまくるし、とにかく不気味で気持ち悪いのだ。やっばりこういうところは永井豪。
が、そんな世界を陰湿なままでは終わらせないのがメインキャラクターたち。暗さを持ったキャラクターが全然いないんだから。 この作品はキャラクターシフトが実に見事。キャラクターの魅力が爆発している。 無鉄砲な暴れん坊のえん魔くん。 そのえん魔くんとは対照的に理知的でえん魔くんを抑える役目となり、また話に華を添えるお姫様の雪子姫。 ギャグメーカーでやられ役のカパエル。 仲間全体をまとめる知恵袋である老人のシャポー。 各キャラの位置付けが非常に明確で分かりやすい。子供番組はこうでなくっちゃ。 戦いはとにかく相手が死ぬまで続けてしまう過激なえん魔くんは単純でパワフルで、思慮分別のある鬼太郎よりアクション面でもマル。
しかし何より注目すべきは雪ちゃんこと雪子姫。 彼女目当てにこの番組を見ていた人は多いに違いない。 まずは何と言ってもそのコスチューム。 雪女だからお約束で白い和服、しかしそれがミニスカート状になってるってんだから。 肌を完全に隠してしまう日本伝統の和服をこんな風に切り刻んでしまうなんて、初めて見た当時はなんか伝統への冒涜って感じで、背徳的エロティシズムを感じたもんだった。 まあこの格好っていうのは多分、和服を着せるのはいいけど活動性が悪くなるので、活発なキャラであることをアピールするためにもこうした、てところだろうけど。 しかしこのスタイルを考案したのは、実に偉いとしか言いようがない。
週刊少年ジャンプに連載している漫画で「地獄先生ぬ〜べ〜」ってのがあって、そこに雪女のゆきめという子が出てくる。 その子が雪ちゃんと同じ格好をしてるんだけど(いや、雪ちゃんよりはるかに裾は短く、股下数センチ!)、明らかに雪ちゃんがベースだと思われる。 さてはこの作者も雪ちゃんに魅せられて育ったな、などと邪推したりしてしまう。 けど、ゆきめは結構ポンポン脱いじゃうキャラで、逆にそこがイマイチ。
で、これが雪ちゃんの次の魅力なんだけど、とにかく雪ちゃんはごく普通のまっとうな羞恥心の持ち主。 いやそれだけじゃなく、雪女家の姫君だけあって、プライドも高いし戦いの中で女であることを言い訳にしたりしない。 そんな凛々しいお姫様が、帯を解いてミニの着物を脱いだらすっぽんぽんという過激な格好をしているのだ。 このアンバランスさがなんとも言えない魅力になっている。 子供の頃は、雪ちゃんの裾がふとめくれるだけでもドキドキしたもんだった。 元から簡単に脱ぐキャラクタであるキューティーハニーやゆきめではこうはいかない。
雪ちゃんのおかげで性に目覚めたという良い子の男の子はたくさんいるんじゃなかろうか。 ということで、全話あらすじ紹介では雪ちゃんに焦点を絞ってドキドキ見所チェックを行なっている。 下品な奴だと軽蔑するならするといい。だが、私と同じ思いで子供時代を過ごした人は必ずいるはずだ。 そんな人に少しでも共感してもらえれば幸いである。
…などといったことばかり書いていると品性を疑われそうなので、最後は真面目な話。 この作品の出来はどうなのか? これが、半年で終わった作品とは思えないほど完成度が高い。
一応アニメと同時進行の原作漫画があるものの、この作品はほとんどがアニメオリジナルの話。 どうしても原作の呪縛から逃れられなかった鬼太郎のエピソードとは違い、上原正三、辻真先といった脚本家たちが書きたい物を自由に書いているのだ。
とにかく妖怪が出さえすれば話は成立する。えん魔くんは放っておいてもそこに現れるのだから。 これだけ自由度が高ければ、もうやりたい放題。 かくして、スタンダードな戦いの話に混じって、カラーの全く異なる話が続出する。
例えば、全編に渡ってさりげなく語られる文明批判に混じって、「妖怪地獄おくり」「妖怪雨女郎」「妖怪くるった竜魚」などはストレートに文明批判を行なっている。 「日本列島大爆発の日」のラストのシャポーの台詞もなかなか痛烈。 それに対して「妖怪あすなろ小僧」「妖怪火々爺」「妖怪父ちゃん」などは感動の作品。えん魔くんの戦いにほとんど意味がない。 また、「妖怪イヨマントの復讐」なんかは救いのない悲しい話。この話でもえん魔くんの存在に意味はなく、単なる傍観者に過ぎない。 よくもまあ、これだけバラエティの豊かな話が揃ったもんだ。
キャラクターは秀逸だし、ストーリーも非常に内容が濃い。それでいてファンサービスも充実した娯楽作品。 ある意味では鬼太郎を超えた作品だと思う。 雪ちゃんだけにうつつを抜かすのではなく、じっくりと内容を味わいたいものだ。
更に最後にもう一言、漫画版について言っておきたいことがある。 アニメの「日本列島大爆発の日」に出てきた妖怪の怒黒。これはこの話では日本に水爆を落とそうとする奴である。 だが、漫画版に登場した怒黒は地獄界の無冠の帝王と恐れられた大妖怪。水爆なんてチンケなことを考える奴とはわけが違う。 漫画版では最長のエピソードで描かれ、最後にはえん魔くんと空前絶後の凄まじい戦いを見せてくれるのだ。必見だぞ。
…漫画版を知ってる人へ。ウソはついてないでしょ?(笑)