S.29 (1954) |
ゴジラ 透明人間 |
---|---|
S.30 (1955) |
ゴジラの逆襲 獣人雪男 |
S.31 (1956) |
空の大怪獣ラドン |
S.32 (1957) |
地球防衛軍 |
S.33 (1958) |
美女と液体人間 大怪獣バラン |
S.34 (1959) |
日本誕生 宇宙大戦争 |
S.35 (1960) |
電送人間 ガス人間第1号 |
S.36 (1961) |
モスラ 世界大戦争 |
S.37 (1962) |
妖星ゴラス キングコング対ゴジラ |
S.38 (1963) |
マタンゴ 海底軍艦 |
S.39 (1964) |
モスラ対ゴジラ 宇宙大怪獣ドゴラ 三大怪獣 地球最大の決戦 |
S.40 (1965) |
フランケンシュタイン対地底怪獣 怪獣大戦争 |
S.41 (1966) |
フランケイシュタインの怪獣サンダ対ガイラ ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘 |
S.42 (1967) |
キングコングの逆襲 怪獣島の決戦 ゴジラの息子 |
S.43 (1968) |
怪獣総進撃 |
S.44 (1969) |
緯度0大作戦 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 |
S.45 (1970) |
決戦!南海の大怪獣 |
S.46 (1971) |
ゴジラ対ヘドラ |
S.47 (1972) |
地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン 怪獣大奮戦ダイゴロウ対ゴリアス |
S.48 (1973) |
ゴジラ対メガロ |
S.49 (1974) |
ゴジラ対メカゴジラ |
S.50 (1975) |
メカゴジラの逆襲 |
S.52 (1977) |
惑星大戦争 |
S.59 (1984) |
ゴジラ |
S.63 (1988) |
帝都物語 |
H.1 (1989) |
ガンヘッド 帝都大戦 ゴジラVSビオランテ |
H.3 (1991) |
ゴジラVSキングギドラ |
H.4 (1992) |
ゴジラVSモスラ |
H.5 (1993) |
ゴジラVSメカゴジラ |
H.6 (1994) |
ヤマトタケル ゴジラVSスペースゴジラ |
H.7 (1995) |
ゴジラVSデストロイア |
H.8 (1996) |
モスラ |
H.9 (1997) |
モスラ2 海底の大決戦 |
H.10 (1998) |
モスラ3 キングギドラ来襲 |
H.11 (1999) |
ゴジラ2000 ミレニアム |
H.12 (2000) |
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦 |
H.13 (2001) |
ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃 |
H.14 (2002) |
ゴジラ×メカゴジラ |
H.15 (2003) |
ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS |
一般には、最初凶悪な怪獣として現れたゴジラは「三大怪獣地球最大の決戦」で善玉に転じ、「メカゴジラの逆襲」で一旦シリーズ終了。 その後新作「ゴジラ」より、原点に戻って再び凶悪になって暴れるようになった、と言われている。 本当にそうだろうか?
よく見てみると、実はもう少し複雑な変遷をたどっていることが分かる。そのことについて論じてみたい。
そしてこの時期のターニングポイントとなるのが「三大怪獣地球最大の決戦」だ。 この作品は、モスラに説得されてゴジラがキングギドラと戦う、ゴジラが善玉に転じる作品だと言われている。 だが私に言わせれば、モスラに説得されること自体は問題ではない。 後の作品を見れば分かるが、別にゴジラが正義に目覚めたわけでもなんでもないからだ。
この作品の問題はラストシーンにある。ラストで、モスラはインファント島に帰る。 ところがゴジラとラドンはまだピンピンして日本にいて、しかもこの2匹がどうなったかを描かずに映画は終わってしまうのである。 ゴジラをどう撃退するかがメインだったはずなのに、キングギドラを撃退してめでたしめでたしとなってしまう。 ここから、ゴジラシリーズは変貌を始める。
この時期、ゴジラは善玉となって戦っていると思われがちなのだが実は全然違う。 ゴジラは相変わらず好き勝手に暴れているのだ。ところが舞台と設定の関係上、人間に都合の良い暴れ方になっている、と言える。 一作ずつ検証してみよう。
「怪獣大戦争」では、最初ゴジラはX星人によって宇宙へ運ばれてキングギドラと戦う。これはX星人が望んだことだ。 そして後半では舞台を地球に移し、地球を襲わせるためにコントロールされていたが人間の活躍で制御波を解除される。 我に返ったゴジラ。するとそばには宿敵キングギドラがいるではないか。かくしてゴジラはキングギドラと戦い、激闘の末に海の藻屑と消える。 つまり、別に人間のために戦っているわけではない。
「南海の大決闘」では人間と戦うのだが、この場合の人間とは島に巣食う悪の組織、「赤イ竹」。 ゴジラにとっては何の違いもないのだが、戦う相手が悪の組織ということでゴジラは相対的に善玉になってしまう。 この映画ではゴジラは「赤イ竹」と戦う人間に利用されていると言ってもいい。
「怪獣島の決戦ゴジラの息子」に至っては、人間の方が島の侵入者。そしてゴジラは人間に対して完全に無関心である。 初登場時、ゴジラは人間の実験施設を踏み荒してミニラを救いに行く。 しかしそれは単に進路上に施設があったというだけで、人間にとっては不運な事故だったというだけに過ぎない。 実際、ゴジラはその後、人間たちに全く干渉しない。
「怪獣総進撃」で再び舞台が人間社会に戻る。だがゴジラが自らの意志(?)で行動するのは最後の戦いの時のみ。 それ以外の時はいいように操られていた。そして最後の戦いでは、またしてもキングギドラが登場。 ゴジラが戦う理由はそれだけで充分だ。
「オール怪獣大進撃」は検討に苦しむ作品だ。なぜならこの作品の主役怪獣はミニラであり、ゴジラは単なる添え物。 ストーリーに何の干渉もしないと言ってもいい。しかしまあ人間に何ら害も益ももたらさないということで、ここに分類しておこう。
その理由だが、まずは人間側のゴジラ対抗策が結構ゴジラを苦しめたりしてるというのが挙げられる。 「ゴジラVSメカゴジラ」なんかまんまゴジラVS人間の話だ。で、ゴジラを死亡寸前にまで追いつめている。
もうひとつ、演出上の問題がある。これは作品ごとにだんだんひどくなってくるのだが、ゴジラの脅威・威圧感といったものを全然感じさせてくれない。 まあ旧作でもことさらゴジラの脅威といったものを印象づけるようなことはあまりない。でもわざわざゴジラを軽く見せるようなことはしなかった。 ところが平成シリーズではなぜかわざわざゴジラを軽く見るような演出が多発しているのだ。これは良くない。 この件に関しては、個々の作品で改めて述べたいと思う。
ハリウッド版ゴジラに期待と不安を持ちつつ、日本のゴジラにはとりあえずサヨナラと言っておこう。